ぼう然としているロザリアに向って、アンジェリークはゆっくりと歩み寄った。そして扉へと伸ばした親友の手をそっと握って柔らかく微笑んだ。
「ロザリア、忘れちゃった? この先は、わたしの仕事場よ」
「貴女……どうして?」
まるで夢を見ているかのようにささやくロザリアの様子に、アンジェリークはもう一度笑いかける。そして小さく肩をすくめると、悪戯を誤魔化すようにぺろっと舌を出してみせた。
「逃げるの、やめちゃった♪」
「な、なぜ……?」
衝撃のあまり、ロザリアの身体がふらりと傾いだ。アンジェリークが驚いて手を伸ばしたが、それよりも先に駆け寄ったオスカーが、しっかりと彼女の肩を支える。
「……オスカー」
「大丈夫か?」
オスカーの落ちついた声に、ロザリアはほうっと安堵の息を漏らして小さくうなずく。その様子に安心したのか、オスカーは顔を上げて、今度はアンジェリークへと視線を移した。
「俺も同じことをお訊ねします、陛下。ランディと共に、この聖地を出て行かれたのではなかったのですか?」
するとアンジェリークは、すっと目を閉じた。そして軽く微笑むと、改めてゆっくりと目を開ける。
「貴方達にはお礼を言わなくてはならないわね。二人ともありがとう。わたしとランディのことを心配してくれて……本当に、ありがとう」
「……それは答えになっていませんよ」
「怒らないで、オスカー」
アンジェリークは苦笑すると、胸元に手をそっと添えて軽く顔を伏せた。
「わたしね、彼がいなくなるってわかった時、すごく動揺したわ。そして同時に、自分が女王であることを恨んだの。もう彼の側にいられないっていう自分の運命を……呪ったのよ」
その時のことを思い出したのか、アンジェリークは辛そうに、ほんの少しだけ眉をひそめた。
「だからロザリアが『ランディのところへ行きなさい』って言ってくれた時、本当に、本当に嬉しかった。また彼と一緒にいられる……ううん、今まで以上に彼と一緒にいられるって思ったら……すごく、すごく嬉しかった。もう、他のものは何もいらないって思ったわ。……けどね」
アンジェリークは顔を上げる。そしてロザリアとオスカーをじっと見つめ返した。
「ランディと一晩中話してわかったの。わたし、彼のことも大好きだけれど、それと同じくらいにこの世界が、この宇宙が好きだって。どちらも今のわたしにとって、かけがいのないものだって……だからわたしはどちらも手に入れる。ランディのことも、宇宙のことも、わたしはどちらも離さないわ。だってわたしは、女王なんですもの」
ロザリアはアンジェリークの瞳をじっと見つめた。大きくて人を惹きつける不思議な魅力を持った翡翠の瞳を、黙って見つめ返した。
「そう言ったらね、ランディもわかってくれたの。これからも、守護聖ではなくなってしまったけれど、わたしの事を守ってくれるって約束してくれたの。わたしが役目を終えるまで、この聖地にいてくれるって……約束してくれたわ」
「アンジェリーク……それは無理よ」
ロザリアは小さく呟くと、支えてくれているオスカーの顔をちらりと見上げた。するとオスカーも、同意するように小さくうなずき、アンジェリークに向き直る。
「守護聖たる者はその力を失った時は、速やかに聖地を去るというのが決まりです」
「その決まり、誰が作ったの?」
「それは……昔からの慣習で……」
ロザリアが困惑気味に答えたが、アンジェリークは「なぁんだ」と、まるで大したことではないというような態度でにこっと笑った。
「昔からの慣習って事は、昔の人が決めたって事よね? 人が決めた決まりなら、人が変えてもいいんじゃないかしら?」
「そんな。前例がありませんわ!」
「うん、そうね。けどね、ロザリア。前例っていうのは、誰かが最初にやって初めて『前例』になるんじゃないの? だったらその『前例』を、わたしが作ったっていいんじゃない?」
そう言うと、アンジェリークは屈託なく笑った。その朗らかで邪気のない笑顔を、ロザリアはぽかんと見つめるしか出来なかった。が、やがて、ロザリアを支えるように黙って立っていたオスカーが、小さく肩を震わせて笑いだした。
「……オスカー?」
笑っている場合じゃないでしょう、と眉をひそめてロザリアは彼を見上げたが、オスカーはくっくっとじつに楽しそうに笑い続け、やがて彼女の肩を軽く叩いた。
「どうやら俺たちの女王陛下は……思っていた以上の大人物だったらしいぜ、補佐官殿」
「え……?」
怪訝そうな表情を浮かべるロザリアからすっと手を放すと、オスカーはアンジェリークの前に歩み寄った。
そして床に膝をついて恭しく頭を垂れて礼をとり、それから改めて顔を上げると「御手に触れる許可をいただけないでしょうか?」と言いながらにやりと笑った。
「ロザリアが見てるわよ。……いいの?」
呆れたように笑いながらも、アンジェリークは手をオスカーの方へ差しだした。するとオスカーはその手をとり、自分にとって主である少女を見上げて微笑み返す。
「陛下には我が忠誠を。そして彼女には永遠の愛を……。俺も陛下と同じで、どちらも大切に思うことができるんですよ」
「でも、わたしは貴方みたいに浮気性じゃないわ」
機嫌を損ねたようにアンジェリークは一瞬ムッと膨れたが、すぐに相好を崩してクスクスと笑いだした。そしてオスカーから手を放すと、どうしていいかわからずに困惑して立ち尽くしていたロザリアに駆け寄って、彼女をぎゅっと抱きしめた。
「ア、アンジェ?」
驚いて声を上ずらせるロザリアを抱きしめたまま、アンジェリークは小さくささやく。
「ロザリア、大好きよ。これまでも、これからも、貴女はわたしの大事な友達。だからこれからも……ずっと一緒にいて欲しいの。お願い……いいでしょ?」
「……アンジェ」
ロザリアは、恐る恐る自分の首に巻き付いているアンジェリークの手に触れた。すると柔らかい金色の髪が、彼女の頬に触れる。温かいその感触に、ロザリアはようやくこれは現実なのだと悟った。
大切な友人は……アンジェリークは、自分の所へ帰ってきてくれたのだ。
ロザリアはそっと目を閉じた。そして小さく微笑むと、アンジェリークをきゅっと抱き返す。
「仕方がないわね……貴女は、放っておくとなにをするかわからないから。だからこれからも、わたくしが見張っていてあげるから……覚悟しなさい」
「……うん」
しばらくして、不意にロザリアは身体を後ろに引っ張られてバランスを崩した。が、よろめいた途端、オスカーが彼女をしっかりと抱きかかえる。
「オスカー?」
怪訝に思って彼を見上げると、オスカーは少しだけ拗ねたような表情を浮かべて彼女を見下ろしている。
「もうそのくらいでいいだろう? あんまり何度もヤキモチ焼かせるなよ」
ロザリアにそう告げた後、今度はやや非難めいた視線をアンジェリークへ送る。
「陛下も陛下ですよ。貴女にはランディがいるでしょう? あいつはどこに置きっぱなしにしてきたんですか?」
「置きっぱなしなんて失礼ね。彼は謁見の間にいるわ。他の守護聖の皆さんに招集かけて、彼とわたしのことをきちんと説明するつもりだから」
「ならば謁見の間に俺たちも行かなければなりませんね。それはともかく、そうと決めたのなら、これからは俺のロザリアにまで手を出さないで下さい」
「えーっ! いいじゃなぁい! わたし、ロザリアのことも好きなんだもん!」
アンジェリークが拗ねたように叫んだ途端、オスカーはすばやくロザリアをひょいっと抱き上げてしまった。そして唖然とするアンジェリークに向って、勝ち誇ったようににやりと笑ってみせた。
「陛下。先程、我々二人に礼がしたいとおっしゃいましたね? ならば、しばらくの間、俺とロザリアに休暇をいただけませんか?」
「休暇って……あーっ、ロザリアを独り占めする気でしょ? オスカーってばずるーい!」
「なんとでも。何度もいいますが、彼女は俺のものですから」
「ち、ちょっと、オスカー! いきなり何を言い出すの!?」
ロザリアは突然のオスカーの申し出に慌て、頬を染めて彼に抗議をする。が、オスカーはしれっとしたもので、彼女の慌てる様を面白そうに観察している。
「しばらく気の休まる時がなかっただろう? せっかくの陛下からのご褒美だ。ゆっくり休ませてもらうことにしようぜ。それに……さっき君が口ごもった言葉の続きを、今度こそしっかりと聞かせてもらわないとな」
言うとオスカーは、ロザリアの身体を改めてしっかりと抱きかかえ直しながら、彼女の唇にゆっくりと自分の唇を重ねた。