永遠の休暇

(13)

ロザリアは微かに目を開けると、樹に凭れるようにして目を閉じているオスカーを見上げた。

「眠らないって言ってたくせに……」

そう言って小さく笑うと、彼を起こさないように注意しながらそっと身体を起こす。

そうしてしばらくオスカーの寝顔を見つめていたが、不意にすっと手を伸ばして、彼の額にかかる見事な紅い髪に触れた。

それは思っていたよりも遥かに柔らかく、ロザリアはその一房を指ですくい上げると、そっと唇を寄せた。

「ありがとう、オスカー。貴方のこと……忘れないわ」

呟くとロザリアは手を離し、すっと立ち上がった。そしてフードを目深に被ると、もう一度振り返ってオスカーを見つめる。

「……さようなら」

微かにささやいたかと思うと、彼女はくるりと踵を返し、まだ闇の残る靄の中を足早に歩き去っていった。

フードを被っているために、彼女の表情は伺い知れない。だが、最後にささやいたその声には、微塵の揺るぎもなかった。

――そして彼女は、二度と振り返らなかった。

 

一旦屋敷に帰ったロザリアは、使用人達に気付かれないように、一階のテラスから屋敷の中に入った。そしてゆっくりと階段を昇り、自室に戻ってほっと溜息をつく。

羽織っていたマントをベッドに放り投げると、そのままバスルームに向う。バスタブに湯を溜めようかと思ったが、そのまま睡魔に襲われそうな気がしたので、シャワーで済ませることにした。

すっかり乱れてしまった髪を丹念にほどいて洗い流す。同じように丁寧に身体も洗ったが、ところどころに残る紅い印を見つけるたび、彼女は切なそうに瞳を潤ませた。が、すぐに小さく首を振ると、シャワーのバルブを乱暴にひねり、勢いよく噴き出した湯を頭からかぶった。

それはまるで、何もかも総てを、このシャワーで流してしまいたいと言っているかのようだった。

 

シャワーを使い終わると、ロザリアはバスローブを羽織って化粧台の前に座った。そしてドライヤーで丁寧に髪を乾かし、いつもと同じようにきっちりと髪を結い上げる。

立ち上がってクローゼットに向うと、仕事着である蒼いドレスを取りだして身にまとった。そして改めて化粧台に座り直して、ゆっくりと化粧を始めた。

総ての身支度が整うと、ロザリアはほうっと溜息をついた。そして立ち上がると、部屋の入り口にゆっくりと向かった。

 

聖殿に着くと、案の定、そこはしんと静まり返っていた。

夜警の兵士の敬礼に微かに頷いて答えると、ロザリアは聖殿の廊下をゆっくりと進んでいった。

彼女の目的地は女王の間。今は主が不在なその場所に、彼女は向かっていた。

アンジェリークに代わって、自分がこの宇宙を支える女王となるために――。

 

アンジェリークを自由にするために、ロザリアはあらゆる文献を読み漁った。

女王が不在の場合、その統治にある宇宙はどうなるのか? 長い歴史の中には、女王不在な期間も少なからずあったのではないかと推測し、ロザリアは色々と調べて回った。

そして、調べているうちに見つけたある事実に、彼女はがく然とした。と、同時に、これならばあるいは実行できるのではないかと考えた。

それは女王補佐官の存在についてだった。

何故、補佐官に選ばれる者が女王とならなかった候補の少女であることが多いのか。

それはもしも女王に何かあった時、あるいは女王に対して良からぬ企みを抱くものが出てきた時に、女王と同じサクリアを秘めた補佐官を「身代わり」とするためだったかららしい。

聖地に病気はないというが、怪我をしないわけではない。女王とて生身の人間であることに変わりはないのだから、日常生活を送っていれば、どんなに注意していたとしても不慮の事故が起きないとも限らないのだ。

それに過去にも、僅かではあるが聖地に不逞の輩が忍び込み、女王の命を狙ったというデータも残っていた。

今から二十六代前の女王は、在位中に二度刺客の襲撃を受けたと書かれている。

その後その事件がどう処理されたのか、襲われた女王が無事だったのか否かは文献には残っていなかったけれど、残っていなかったからこそ、逆にロザリアは推測してみたりもする。

一度目はともかく、二度目に襲われた時、この女王は命を落としたのではないか?

そしてその事は一切公表されず、女王補佐官であった女性を密かに「女王」としたのではないかと。

女王の存在は知られていても、その姿を見たことがある者は限られている。

現女王アンジェリークはかなりあけっぴろげな性格なので、今までの女王に比べたら彼女の顔を見たことのある者はかなり多い。とは言っても、それは聖地に限られており、その聖地でも民間人はやはり彼女に会うことは難しい。

つまり女王がどんな人物なのかを知る者は、聖殿で働く一握りの者を除いたらほとんどいないと言っていい。

だから、こんな「暗黙の了解」のようなしきたりが生まれたのではないだろうか。

 

それならば、女王サクリアを宿す少女を「女王」と「補佐官」として聖地に留めさせることの意味が分かる。

女王の声を聞ける唯一の存在は、同じサクリアを持った者。

だから、女王と競い合った女王候補が補佐官になるという理屈は、確かにその通りだし、一番大きな要因である事は間違いない。

が、それはあくまでも「表向きな理由」。けっして誰も告げはしないし、教えてくれはしないけれど、遥か昔から脈々と受け継がれてきた暗黙の理由。

それは、補佐官とは「女王の影武者」であるということ――。

 

その事実に突き当たったとき、ロザリアは頭の中の靄が全て消え去ったような気持ちになった。

アンジェリークを自由にしてあげたい。けれどその為には、新たな少女が犠牲になる。

そうオスカーから聞かされた時、やはりロザリアには躊躇いが生じた。そんな彼女の葛藤を感じたからこそ、オスカーは「覚悟が出来ないならやめろ」と言ったのだ。

が、その言葉を聞いた途端、彼女の脳裡に読みあさった文献の中に載っていた事実が浮かび上がった。

 

女王補佐官は女王の身代わりとなるために存在している。ならば、自分が――アンジェリークの代わりに玉座に付けばいい。

そうすれば、誰を犠牲にすることもなくなる。

女王が逃げ出せば、聖地は死に物狂いで行方を探すだろう。だが、同じ程度の力を持つ者がその器に残っていたとしたら?

そしてその者が、女王としてこの地に留まり、宇宙を統治していくことを拒まなかったとしたら?

ロザリアは、もともとアンジェリークよりも優秀だと言われていた女王候補だ。そして今もなお、そのサクリアを失ってはいない。

アンジェリークが女王に選ばれたのは、新たな宇宙を切り開くには「未知数な力」を秘めた彼女の方が適任なのではないかという理由からだった。

だが、今この宇宙は安定している。この安定を維持していくだけなら、むしろ物事を冷静に見つめて判断できるロザリアの方が、あるいは女王として相応しいかもしれない。

もちろん、良い事ばかりではない事も覚悟している。現女王を逃がす手引きをしたと分かれば、それ相応の罪を問われるだろう。

身代わりの女王として在位している間はなにもないだろうが、力が衰えて新たな女王が誕生した後は、過去の贖罪をしなければならなくなるのは確実だ。女王という鎖から解き放たれた途端、今度は本当の牢獄に繋がれることも十分ありえる。

それでも、ロザリアは敢えてこの方法をとることにした。

他の人を犠牲にして苦しむよりは、遥かにいいと思ったから――。

 

こつこつと足音を立てて、ロザリアは女王の間へ向かう。誰もいない間に女王の間に入ってしまえば、あとはたとえ首座の守護聖と言えども踏み込むことは出来ない。

そこから手はず通り、女官長を通して指示を与える。彼女は優秀で、かつ寡黙だ。ロザリアに対しても全幅の信頼を寄せていて、だからこそロザリアもまた彼女を信頼して重大事を打ち明け、協力してもらえるよう手配していた。

もうアンジェリークとランディは、無事に聖地を抜け出しただろうか? 彼らが残っていては、あるいは捕まってしまっては、自分がしたことの意味がない。

どうか無事で。そして――幸せになって。

祈りにも似た願いを胸に秘めたまま、ロザリアは長い廊下をひたすら奥へと急いだ。