「……すみません、少し頭を冷やしてきたいんです」
先輩である2人の守護聖にそう告げると、ランディは1人湖へと向かった。
今、彼女の顔をまともに見ることができない。おめでとう、しっかり頑張れ、と声をかけることはできそうもなかったのだ。
「……俺って、こんなぐずぐずした奴だったのか」
仕事も手に付かないなんて、今までになかったことだった。
明日、アンジェリ-クは即位する。この宇宙の女王となる。同じ聖地で暮らし、共に長い年月を過ごすことになるのに、もう手の届かないところに行ってしまう。その事を考えると、胸が締めつけられる。
最低だな、と思う。彼女の成功を祝ってやれないなんて…。
「……よく、一緒に来たよな」
目の前に広がる湖は、傾いた夕日を写していた。ここは2人のお気に入りの場所。
ふと、人の気配を感じる。目を凝らすと、木陰に腰掛けていたらしい人影が立ち上がった。長身の影がこちらに近づいて来る。長い黒髪は夕日の所為でいっそう神秘的に見えた。
「……こんなところでなにをしている?」
「ク、クラヴィス様……あ、あの俺…!」
別にやましいことをしているわけでもないのに、おろおろしてしまう。そんなランディの様子に唇の端をわずかにあげて、クラヴィスは笑った。
「騒がしいのは苦手なのでな。陛下のお許しを貰って休んでいたところだ」
クラヴィスはアンジェリークの事を陛下と呼んだ。その事実に、ランディは胸の奥がチクリと痛んだ。そんなランディから目をそらしたクラヴィスは、湖に沈み行く太陽を見つめる。
「……人は、失って初めて、いかにその存在が大きかったかが分かるものだ」
ランディは何を言われたのか一瞬理解できずに、顔を上げた。湖を見つめたまま、クラヴィスは淡々と語りかけてくる。
「どちらが悪いわけではない。ほんのささいなきっかけで、違えた道をお互いに後戻りできなくなる。気がつけば、永遠に交わることのない場所まで進んでしま……う」
「クラヴィス様……」
クラヴィスは、つい、と視線をランディへと向けた。心臓がいつになく音を立てているのを感じる。
「……僅かな勇気がなかったために、悠久の時をお互いに巡らねばならぬ。交わることのない、メビウスの輪をな」
僅かな勇気。それは俺の役目なのに、今まで何をしていたんだろう。
ランディは、初めてクラヴィスの瞳をまっすぐに見て答えた。
「俺、馬鹿でした。勇気を司る、なんていつも偉そうにいってるくせに、誰よりも臆病だった。自分が傷つくのが怖くて、逃げ回っていたんです。どうしてもっと早く気付かなかったんだろう、こんな大切なこと。……でも、もう遅い」
クラヴィスは、悔しそうに顔をそむけるランディに言葉を続けた。
「……太陽は、まだ沈んではいないようだがな」
ランディは、懐かしい気配を感じて振り返る。そこには、一人の少女が立っていた。
「……ランディ様」
走ってきたのだろう、アンジェリークは小さな手で胸を押さえていた。少し呼吸を整えると、屈託のない笑顔を向けてきた。
「クラヴィス様も、こちらにいらっしゃったんですね。お渡ししたい物があったんです」
「……私に?」
「はい、これエリューシオンの砂です。今までのお礼と、これからもよろしくお願いしますっていうお願いのしるしです」
「フッ……面白いことをするな、おまえは」
クラヴィスは僅かに肩を震わせた。アンジェリークはきょとんとし、ランディは驚き慌てた。
「ありがたくいただこう。では、私は屋敷に戻ることとしよう。パーティは終わったようだからな」
音をまるで立てずに、優雅にクラヴィスは歩き出した。ランディは、クラヴィスが隣を通り過ぎる時に、彼がそっと囁いたのが聞こえた。
「先人の貴重な体験は、いかしたほうがよいぞ……」
「このところお姿が見えなかったので、心配してました。……お身体の調子が悪かったんですか?」
「ん、いや、仕事を少しね、ためちゃってたんだ、だから」
お気に入りの場所に二人で並んで腰掛ける。太陽はすっかり沈み、水平線に最後の光が残っているのみだった。
「いよいよだね、即位式」
「はい。皆様のおかげです」
こんなことを言いたいんじゃない……伝えたいことは、他にあるのに。
「あの、ランディ様。……これ」
「エリューシオンの?」
「はい。私からの感謝の気持ちです。今まで本当にありがとうございました」
「いや、俺の方こそ」
「それで、あの……ランディ様にはもう一つお渡ししたいものがあるんですけど、受け取っていただけますか?」
「え、なに?」
ランディはよく聞き取れなくて、アンジェリークの方に顔を向けた。アンジェリークは、すっと腰を浮かせた。
「?!」
柔らかい唇を感じて、ランディは思わず手の甲を自分の唇に押し当てた。
「ア、アンジェリーク?!」
アンジェリークは、泣きそうに微笑んで答える。
「私の気持ち……受け取っていただけますか?」
「でも、君は女王になるんだろう? だったら……」
「はい、女王になります。でもランディ様のこと、本当に大好きなんです。だから……両方はダメですか?」
突拍子もない答えに、ランディは驚いた。しかも彼女は、いたって真剣なのだ。
「くっ……まいったな」
『そうだった。俺の好きになった子は、こういう子だったよな。少しおっちょこちょいで、でも何にでも一生懸命で決して諦めない。そんなアンジェリークだから、俺は……』
何がそんなにおかしいんだろう、と不思議そうに自分を見つめるアンジェリークを、ランディはそっと抱きしめた。
「俺も君のことが好きだ。大好きだよ。だから、俺は強くなる。オスカー様よりも、誰よりも……君を一生守れるように」
「ランディ様……」
「だからアンジェリーク、これからも俺の側にいてほしい。君と一緒に、どこまでも歩いていきたい」
「私、ディア様にもロザリアにも負けない、誰よりも素敵な女の子になりたいです。だから……側にいさせて下さい。ランディ様と一緒に、これからも生きていきたいです」
ランディは腕の力を少し緩めた。アンジェリ-クは、顔を上げる。
「でも、大変なんだぞ、女王の仕事って」
「大丈夫です。ロザリアもいてくれるし、守護聖様方だって支えてくれます。それに、私には風の守護聖の特別な加護があるんですもの。ランディ様がいてくれれば、それだけで私、何でもできそうな気がするんです」
「やっぱりかなわないな。君は強いよ、アンジェリーク」
「強くしてくれたのはランディ様なんですよ?」
「俺が?」
「ええ。ランディ様が勇気をくれたから、いつも励ましてくれたから、私ここまで来れたんですもの。だから……」
ぎゅっとランディの胸に、顔をうずめる。
「どちらも離しません。女王も、ランディ様も…。覚悟してくださいね?」
「まあ、一件落着ってとこだな」
ゼフェルは腰を屈めたまま、茂みに触れないように後ずさった。
「本当に手間のかかること。それにしても、ランディ様は少しだらしないですわ。結局、あの子に最後までリードされて」
ロザリアも、ゼフェルに続いて後ろに下がる。木の陰まで進むと立ち上がり、身体についた木の葉をはたき落とす。
「あいつ、口は達者だけど、肝心なとこで動けなくなるんだよな。自覚がねーからやっかいだよな」
腕を頭の後ろで組んで、ロザリアとともに歩き出す。ロザリアは、そんなゼフェルをちらりと非難めいた目で睨む。
「……なんだよ、その目」
「別になんでもありませんわ。ただ、他人のことはよく見えていらっしゃるんだと思っただけです」
「はぁ? どーゆう意味だよ?」
「ですから、なんでもありません! 早く戻らないと夕食に遅れてしまいますので、わたくしはこれで失礼します。ご機嫌よう、ゼフェル様」
一人でさっさと歩き出すロザリアを、ぼう然と見送ったゼフェルは一人呟いた。
「なんなんだよ? ったく、これだから女ってのは…」