「陛下の御世が素晴らしきものになりますよう」
「ありがとう」
御簾の向こうから響く声は穏やかで大人びていて、昨日まで飛空都市を飛び回っていた少女のものとは思えなかった。
それが嬉しくもあり、また寂しくもあり。
そんな複雑な気持ちを抱きながら、ルヴァは恭しく頭を垂れて広間の一角へと戻る。その時ちらりとランディの方へ視線を向けたのは、ランディとアンジェリークを影ながら応援していた所為だったのだろう。
だがルヴァの心配をよそに、ランディはしっかりと立っていた。ジュリアスの合図と同時に守護聖全員が女王に敬礼をする時にも、彼は御簾から視線を逸らすことなく真っ直ぐそちらに向き直り、そして頭を垂れた。
皮肉なことに、ランディよりもマルセルの方が挙動不審だった。
やはり事情を知っているマルセルは、あまりにもランディがいつもと変わらない、むしろ普段以上に毅然としている事に戸惑っているようだ。
ゼフェルも同じだ。もっとも彼の場合、あからさまに心配しているなどと口にしないし、いかにも無関心という態度をとってはいるが。
それでも時折ランディの方へ目線が動くのは、彼が口で言うほど冷たい少年ではないという事の現れだった。
そんなゼフェルの素直ではない行動にルヴァが軽い微笑みを浮かべた時、その場の空気がざわっと動いた。
「ヘ、陛下!?」
「ロザリア。この御簾を上げてちょうだい」
「で、ですが」
困惑する新任の補佐官に向かって御簾の向こうからかけられる言葉は、あくまでも穏やかだ。
「この御簾を上げてちょうだい。お願い」
「ですが陛下。代々女王はそのお姿を人目に晒してはいけないという決まりがありますわ。その為にこうしてわたくしのような補佐官がお仕えして、陛下のご意志を皆に伝えるという役割を受け持っているのですよ」
ロザリアは眉を顰めて御簾の向こうに答えた。その言葉にジュリアスも微かに頷くと口を開く。
「陛下。どうかご自分の立場をご認識下さい。もう気まぐれや思いつきで行動してよいお方ではなくなったのだとご自重ください」
「これは気まぐれや思いつきじゃありません、ジュリアス様。わたし、ずっと考えていたんです」
いつの間にか、御簾の向こうから聞こえてくる声がアンジェリーク自身に戻っていた。
「わたしはこの宇宙が好き。エリューシオンや聖地。パパやママ、お友達。そしてロザリアや守護聖の皆様がいるこの世界が大好きです。だから守りたいって思いました。大切な人達がいるこの世界を守るために女王になりたいって思いました。でも、わたしなんかにそんな事が出来るのかなって不安だった。わたしみたいになんの取り柄もない子にそんなこと出来るのかなって」
御簾の向こうの空気が微かに揺れた。
「でも、夢は必ずかなうんだって教えてくれた人がいました。諦めないで頑張れば、きっと未来は開けるって。私の夢がかなうよう応援してあげるから、一緒に頑張ろう、って言ってくれた人がいました」
ランディが顔を伏せ、遠い過去を思い出したような、懐かしそうな笑みを微かに浮かべた事に気がついたのは、その場に果たして何人居ただろう。
「だからわたし、諦めないで頑張れました。そして今、わたしは……ここに居ます。居る事が出来たんです」
「アンジェリーク……」
ロザリアも、いつの間にか補佐官という立場を忘れて、御簾の向こうにいる友人の名を呟いたが、その場の誰もその事を咎めようとはしなかった。
「だからわたし思うんです。わたしが女王になれたのは、わたしの力だけじゃない。そうやっていつもわたしを励ましてくれたり、慰めてくれたり。時には厳しく接してわたしの間違いを正してくれたり。そういう沢山の人達がいたから、わたしは女王になれたんだって。だから……」
囁くように続けると、アンジェリークは顔を上げて玉座から立ち上がった。そして数歩前に進むと、自分と世界を隔てる御簾に手をかけた。
「女王はただ一人で宇宙を、この世界を守っているのではありません。沢山のみんなで世界を支えているのです。わたしは……女王は特別な存在ではなく、この世界を愛する人々の中の一人に過ぎません。だから、こんな御簾はいらない。わたしとみなさんを隔てる物など、あってはいけないのです」
アンジェリークがそう言った途端、彼女の身体が金色に輝いた。
御簾越しでもはっきりとわかるその輝きはとてもまぶしく、すぐ側に控えていたロザリアはもとより、一番遠くに座を占めていたルヴァも思わず顔を背けたほどだった。
やがて光が収まり、皆が閉じていた目をゆっくりと開くと、そこにはもう閉ざされていた御簾はなかった。
淡いピンク色の正装に身を包み、真っ直ぐに立つ女王の姿がそこにあった。ただ彼女の背中に拡がる純白の羽根の輝きだけが、先ほどの光を幻ではなかったのだと言っているように見えた。
一同がぼう然としている前で、新たな女王となった少女は柔らかく微笑んで告げる。
「わたしは……皆と共に、これからもこの世界を愛していきたいのです」
「……陛下の御心のままに」
声のした方に皆が視線を走らせる。するとそこには、床に片膝を立ててしゃがみ頭を垂れるランディがいた。
皆が慌てて女王に向かって敬礼を取る中でランディはゆっくりと顔を上げ、上座に立つ少女を真っ直ぐに見つめると、穏やかな表情を浮かべて口を開いた。
「風の守護聖ランディ、改めて陛下に忠誠を誓います。そして陛下とともに、この世界をずっと……愛し続けると誓います」
「……ありがとう」
呟いて微笑んだ女王の胸元で、淡い緑色の石を埋め込んだネックレスが光を反射して優しく輝いた。