扉を叩く音にジュリアスは手を止める。
「誰だ?」
その声に答える様にゆっくりと扉が開かれ、恐々とこちらを覗き込む黒髪が揺れた。
「クラヴィスか。どうしたのだ?」
ジュリアスは開いていた本を閉じると、ぽんと勢いをつけて椅子から飛び降りた。
この部屋の主は確かに自分だが、生憎とこの部屋は子供用には作られていない。豪華な机も品の良い椅子もすべて大人用で、まだ幼いジュリアスには大きすぎるのだ。
しかし、本人は気にしていないのか、あえて気にしないふりをしているのかわからないが、不満を漏らしたことはない。一日も早くこの調度品に囲まれていても見劣りをしない大人になろうとしているのが、かえって痛々しく見えることも本人は知らなかった。
ジュリアスとは対照的な黒い髪を持った幼子=クラヴィスは扉を閉じると、その場に立ち尽くしてうつむいた。ジュリアスは歩み寄るとその肩に手を乗せてささやいた。
「また……夢を見たのか?」
クラヴィスはその問いかけにぴくっと身体を震わせたが、やがてこくんと頷いた。
ジュリアスはふうっと大人びたため息をつくと手を離して窓辺に歩み寄り、かたんと窓を開ける。爽やかな風がさあっと室内に吹き込み、頬を撫でる聖地の風の優しさに、クラヴィスはふっと顔を上げた。ジュリアスは開け放った窓の前に立ってこちらを見ていた。肩まで延びた緩やかな金色の巻き毛が風になびき、光を反射してキラキラと輝いている。
「何度も言うが、それは夢だ。気にすることはない」
「で、でも……とっても怖いんだ」
クラヴィスは眩しそうに目を細め、きゅっと両手を握りしめて苦しそうに呟く。
「僕はひとりぼっちで……どこまで進んでも、いくら歩いても……誰もいないんだ。僕はずっと独りで歩き続けて……でも周りはいつまでも真っ暗で……。ジュリアス、僕……怖い。怖いよ」
恐怖を思い出したのか、クラヴィスはいつの間にか声を上擦らせている。その様子を黙って見つめたジュリアスは、視線を逸らして窓の外のさんさんと輝く太陽を見上げた。
「クラヴィス、こちらに来てみろ。こんなに太陽が輝いているぞ。……こんな素晴らしい聖地にいるのに、何を怖がることがある? それに、そなたがひとりぼっちだなどと誰が言ったのだ? 現にこうして、おまえは私に会いに来れたではないか」
「……でも、僕は……」
「でも…?」
ジュリアスが優しく問いかけると、クラヴィスは伺うように顔を上げ、ジュリアスの穏やかな表情にほっとしたのか先を続ける。
「……あの夢が本当は現実で……僕がこうして聖地にいて、君と話している現実が夢なんじゃないかって……。だから本当の僕は……今もずっと独りぼっちで……本当は君もいないんじゃないかって……」
クラヴィスがこう告げると、ジュリアスは途端に眉間に皺を寄せ、幼いがすでに確固たる意思を秘めた青い瞳を細めてクラヴィスを睨みつけた。
「クラヴィスっ!」
凛とした声が部屋中に響き、クラヴィスはびくんと身体を震わせてジュリアスを見返した。
「私はここにいるっ! 私がこの地に存在するのは本当のことだ。私はおまえの産みだした夢でなどないぞっ!」
そう叫んだ後、怯えて身体を硬直させるクラヴィスの様子にはっとなり、ジュリアスは僅かに表情を緩めた。
「と、とにかくっ。私は光の守護聖としてここにいるし、おまえは闇の守護聖としてこの聖地にいる。それは誰にも変えられない事実だ。断じて夢でなどない。だから……そんな夢のことはもう忘れることだ」
「でも……」
忘れろ、などとは傍観者だからこそ言える台詞だ。当事者にとってこれほど残酷で無責任な言葉はない。
僅か6歳程の少年が家族から引き離され、たった独りでこんな場所に連れて来られたのだから、不安にならないほうが不思議だ。その不安が夢となって、毎夜クラヴィスを襲うのだった。
忘れられるくらいなら……そんなに簡単に消せるのならば……こんなに苦しんだりしない。
クラヴィスはぎゅっと唇を噛みしめ、俯いた。
夜になってベットに入っても、クラヴィスは眠れなかった。実際にはうとうとと瞼が閉じそうになるのに、慌てて目を開けるのだが。
『眠ってしまったら……またあの夢を見るかも知れない。そうしたら……それが現実になって、僕はもうここに戻ってこれなくなるかも知れない……』
なんとしても眠るわけにはいかないと懸命に眠気と闘うが、クラヴィスの幼い身体は眠りと安らぎを要求していた。抗いがたい眠気と夢を見るかもという恐怖に堪え兼ね、ついにクラヴィスは枕をぎゅっと抱えて嗚咽し始めた。
すると部屋の扉がきいっと遠慮がちな音を立て、蝋燭の明かりが部屋の中に入って来た。しかしクラヴィスが驚いたのはその蝋燭の明かりではなく、蝋燭を持ったままこちらに向かってくる人物の存在が信じられなかったからだ。
「……ジュリアス」
呆然と名前を呼ばれたジュリアスは、少し照れ臭そうにしながらベットの端に寄り、サイドテーブルに蝋燭を置くと、ベットに潜り込んで枕を抱えていたクラヴィスの右手をきゅっと掴んだ。
「……もしまた夢を見たら私を呼ぶといい。こうして手を繋いで側にいてやるから。おまえが呼んだら必ず助けに行ってやる……だから、安心して眠れ」
「ジュリアス……」
クラヴィスがまじまじと自分を見つめるのが照れ臭くて、わざとジュリアスは反対方向を向いて布団に潜り込んだ。そしていつまでも自分を見下ろしているクラヴィスに、きつい口調で命令する。
「分かったら早く寝ろ。明日も執務や勉強が沢山あるのだからな」
「……うん」
クラヴィスはこくんと頷くと、ジュリアスとは反対方向を向いたままこれも布団に潜り込んだ。そしてジュリアスの小さな手をぎゅっと掴み、幸せそうに目を閉じながら呟く。
「……ありがとう、ジュリアス」
聞こえているのかいないのか、ジュリアスは僅かに身体を動かしただけで、何も答えようとはしなかった。