Moon Light Serenade

(3)

クラヴィスは育成の間へ一歩足を踏み入れ、視線を前方へ向けてふと立ち止まった。

ぼんやりとした光に照らされた部屋の中央に円形の井戸のような物がある。そこから女王候補二人が育成する新宇宙の大陸が観察でき、力を送ることも出来るのだ。

だが、クラヴィスが立ち止まったのは、その縁の床にぺたんと座り込んで、縁に手をかけ中を覗き込む金色の髪の少女の後ろ姿があった事に驚いたからだ。

少女はクラヴィスが部屋に入ってきた事に気づかなかったのか、振り返ることなくじっと座ったままだ。

クラヴィスが少女に声をかけようと一歩踏みだすと、アンジェリークは微かに身じろいでぼそぼそと大陸に向かって話し始めた。その為、クラヴィスはまた動きを止めて立ち尽くす。

「あのね、エリューシオン。こんな気弱なことを言ってちゃいけないってわかってる。でも誰かに聞いて欲しいの。私……あなたが羨ましい。あの人の力を正面から受け止められるあなたの強さが羨ましいの。私……あの人が恐い。ううん、恐いのはあの人に会った時の自分の心ね。私は女王候補で、あの人は守護聖。一緒にいたいとかを望んじゃいけないのに、好きになったりしちゃいけないのに、あの人の瞳から目を逸らせないの。会わないでいると、胸がすっごく苦しくなって痛いの。でも、会うとね、口も訊けない自分がいて。こんな風になる前はちゃんとお話できたのに」

ここまで一気に喋ると、アンジェリークはほうっとため息をついた。そして床に座ったまま、こてっと円の縁に頭を乗せた。

「こんなことロザリアに言ったら大変よね。女王候補の自覚がないの?って怒られちゃう。でも……仕方がないよね。こういう気持ちって抑えられるものじゃないもの。だから……エリューシオン、あなたが羨ましい」

「何をしている……」

クラヴィスの声に、アンジェリークは文字通り飛び上がって驚く。そして恐る恐る振り返り目を見開いた。

「クラヴィス……様」

「そんなところで座り込んでいては風邪をひく。女王候補とやらに風邪をひかせては、私がいろいろと詮索を受けることになるからな」

クラヴィスは呆けたままのアンジェリークに近づくと、腰を屈めて手を差し出した。

一瞬躊躇いながらも、差し出された手を取ってアンジェリークは無言で立ち上がる。そしてちらりとクラヴィスの顔を見上げ、すぐにまた悲しそうに俯いてしまった。

「どうした?」

「クラヴィス様が私の事を心配してくださるのは……私が女王候補だからですか? それとも…」

そう言うと顔を上げ、期待を込めた緑の瞳を真っ直ぐに向けてくる少女を、クラヴィスは黙って見つめ返し冷ややかに答える。

「そうだ。おまえは女王候補。そして私は……守護聖だ」

その言葉を聞いた途端、アンジェリークの顔がさっと青ざめ大きな緑の瞳が見る見るうちに潤んだ。しかしそれを見られまいと、慌てて手を口元に当て顔を背けたアンジェリークは、クラヴィスの手を振りほどいて脇をすり抜け、転げるように扉の外へと駆け出して行ってしまった。

黙って見送るクラヴィスだったが、やがて少女の柔らかくて暖かい手の平の温もりが残る自分の手へと視線を落とした。

 

このまま消えてしまいたい、とアンジェリークは走りながら思っていた。

あんな事をクラヴィス様に聞かれてしまって……。それなのにクラヴィス様は、私は自分にとって女王候補でしかないって……。

もう恥ずかしくって会えない。会うのは絶対にイヤ。

……でも、でも、会えないなんてイヤ。もう二度と会えないなんて絶えられない。

 

研究院を飛び出したアンジェリークは、いつの間にか庭園に迷い込んでいた。こんなぐちゃぐちゃの顔をしたまま寮に戻ったりしたら、ロザリアになんて言われるかわからない。

噴水まで一気に走り寄ると、そこで一旦呼吸を調えじっと流れる水を見つめた。やがて表情をきゅっと引き締めると、ばしゃんと勢い良く水に両手を肘の辺りまで突っ込んだ。

ばしゃばしゃと水しぶきをあげながら何度も何度も顔を洗うと、ふと手を止める。

じっと見つめていると、やがて穏やかになってきた水面に自分の顔が映る。前髪が濡れて滴が垂れているボロボロの情けない顔の後ろに、憎らしいほど綺麗に月が輝いて映っている。

それを見ていると余計に悲しくなってまた涙が溢れそうになった。それを隠すためにまた水しぶきを上げて顔を洗い始めると、かさりと後ろから草を踏みしめる音が聞こえてきた。

ぽたぽたと水滴を垂らしながらアンジェリークは振り返った。そこには自分をこんなにボロボロにさせた人が、クラヴィスが立っている。

クラヴィスはやはり無言でアンジェリークに近づくと、腰を屈めて彼女の顔をくいっと上向かせる。そして真っ赤になった彼女の顔を、袖口で拭いながらくすっと軽く笑った。

「こんな夜に噴水で顔を洗うとは、な。風邪をひくと言ったばかりだぞ」

「クラヴィス様。あの、わたし……」

「おまえは……夜の闇も似合うのだな」

「え?」

「昼間の輝きの中でも眩しいほど輝くが、宵闇の中でも暖かくほんのりと輝いている……不思議な娘だ」

 

彼の人は太陽だった。昼に輝き、その力を発揮する太陽。

だがこの少女は月だ。

昼間も確かにぼんやりと見える。だがその力を目に見えて発揮することはない。しかし夜になれば、人々に優しい光を投げ掛け安らかな眠りを与える。

そして月は……闇にあっても隠れることなく、ひっそりと輝き続ける。それが当たり前であるかのように……。

クラヴィスはきょとんと自分を見上げるアンジェリークを見つめ、もう一度ふっと唇の端で微笑んだ。そして彼女の手を離さないようにと握り直してささやいた。

「……送っていこう。もう夜も更けた。月の光を最後まで見届けるのは闇の務めだからな」

おわり