夜が明ける。闇はまた私を残したまま去って行ってしまった。
幾度の魅惑的な夜が私の元を訪れ去って行ったのだろう。幾度の残酷な朝が私を捕らえ、惨い現実を目の前に突き付けたことだろう。
もう疲れた。
もう……私を、ここから解放してくれ。
「あの、クラヴィス様」
「育成、か?」
「は、はいっ」
「わかった。おまえの頼みは覚えておくこととしよう」
「よろしくお願いします。それで、あのっ……!」
「もう、用は済んだのだろう? 早く帰れ」
「あ……あの、ありがとうございました」
執務室の扉を名残惜しそうにパタンと閉めると、アンジェリークは廊下の天井を見上げてふうとため息をついた。ノートを抱えた腕にぎゅっと力を込め、しばらくその場に立ち尽くす。しかしやがて、もう一度ため息をつくと足取り重く聖殿を後にした。
外は快晴だった。
確かにこの飛空都市は、気候がコントロールされているのだから快晴なのは当たり前なのだが、それでもいい天気というのは人々の心を明るく楽しいものにするらしい。この都市唯一の庭園に繰り出している人々の顔は一様に輝き、おしなべて楽しそうだった。
そんな人々を横目にしながら、アンジェリークは俯きがちにとぼとぼと庭園を横切っていく。この数ヶ月で知りあいになった人々からにこやかに挨拶を投げ掛けられると確かに笑顔を返すのだが、それは彼女特有の無邪気な微笑みではなく、どこか無理をした笑顔だったのに気が付いた人はいったい何人いただろうか。
足を引きずるようにして寮の石段を一歩二歩と上がり、玄関のノブに手をかけてもう一度深く息を吐きだす。そしてドアを開けて俯いていた顔を上げると同時に、凛とした声が辺りに響き渡った。
「アンジェリークっ!」
「は、はいっ!!」
不意に名前を呼ばれ、思わず背筋を伸ばして、裏返った声で返事をしてしまう金の髪の少女の様子を、ゆっくりと階段を降りてきたロザリアは涼やかな青い瞳を僅かに細めてじっと見つめた。
「ため息をつきながら俯いて歩くのはおやめなさい、アンジェリーク。仮にも女王候補なのだから、道を歩くときは真っ直ぐ前を見てお歩きなさい。あなたがみっともない格好を人前に晒すという事は、同じ女王候補である私の品位も疑われる事になるんですからね」
と最後の一段を優雅に降り、ロザリアはふいっとそっぽを向くと食堂へと向かった。
「早くなさいな。もう昼食の時間よ」
「あ、ね、ねぇ、ロザリア」
「な、なによ?」
立ち去ろうとするロザリアに慌てて駆け寄ったアンジェリークは、立ち止まらないロザリアの腕を引っ張る。袖をぐいっと引かれたロザリアは一瞬つんのめりそうになるが、一歩前に出した右足でなんとか踏ん張り踏み堪える。そして、まだ袖を持ったまま伺うように自分を見つめるアンジェリークをきっと振り返った。
「どうしてわかったの?」
「なにがよ?」
「私が俯いてため息ばっかりついてたって、どうしてわかったの?」
「開けていた窓を閉めようと思って窓辺に行ったら、あんたが見えたのよ。ボーッとしてるのはいつもの事だけれど、肩を落として俯いて、足を引きずるように歩いているんですもの。なんてみっともない姿なんだろうって思ったら、こちらが恥ずかしくなってきてしまったわ」
どう、納得いったの?という表情を浮かべて、ロザリアはアンジェリークに握られた腕を振りほどく。そしてポンポンと軽く埃を払う仕草をして見せると、もう一度アンジェリークに言い放った。
「もういいでしょ? 時間に遅れてしまうわ。ほら、あんたもぼうっとしてないで早くなさいね」
「う、うん」
こくりと頷くと、アンジェリークはパタパタと階段を駆け上がってゆく。口ではきつい事を言いながらもロザリアは階段の下に立って、アンジェリークが慌てて降りてくるのをじっと待っているのだった。