独占欲とエゴイズム

(1)

「そうねぇ。確かに、あちらの女王陛下とロザリア様は、そう呼ばれてたみたい」

レイチェルはそう言うと、昔を思い出すように視線を遠くに彷徨わせた。

「あー、あと。アリオスもあの子……じゃなかった、陛下のコトをたまーにそう呼んでるかな」

「そうなんですか?」

エンジュが興味深そうに目を輝かせると、レイチェルもずいっとテーブルの上に身を乗り出し、彼女の耳元に手を添えてこそっと呟いた。

「ウン。まー、人前ではゼッタイ言わないケドね」

「じゃあ、なんでレイチェル様はご存知なんですか?」

「……え? ……あ、ほ、ほらっ! ヤッパリさ、ワタシは補佐官だし、陛下の事は訊かなくてもお見通しっていうか!」

誤魔化すような作り笑いを浮かべるレイチェルの様子を、ロザリア辺りが見たとしたら「盗み聞きは良くないわよ」と軽くたしなめるところだろうが、エンジュにはそういう勘は備わっていなかったので、彼女はただ感心したように頷いた。

「うわぁ。やっぱりレイチェル様って、優秀な補佐官様なんですねー! すごいなぁ」

「ア、アハハ。ま、エンジュも、もう少し修業を積んだら、ワタシには敵わなくても、いいところまではいけると思うヨ」

「はい、頑張りますっ!」

ぐっと拳を握りしめ、きりりと表情を引き締めるエトワールを黙って見つめ、レイチェルは「天然なコでよかったよぉ」と、ほっと胸をなで下ろした。

 

「――ふーん。つまりお前も『天使』って呼んでもらいたいワケだ」

私室のテーブルに左手で頬杖をつきながら、レオナードはさして興味もなさそうに、備え付けのキッチンに向うエンジュの背中を眺めながら呟いた。

「『伝説のエトワール』って呼ばれるだけじゃ満足できないワケね」

「そうじゃないですけど」

言いながらエンジュは振り返ってテーブルに歩み寄ると、手にしてたコーヒーメーカーからマグカップへと、慎重に中身を注ぎ入れる。

「神鳥の陛下もロザリア様も陛下も、皆さんそう呼ばれていたんです。だから、私もいつか皆さんに『天使』って呼んでもらえるようになれたらいいなぁって。そうしたら、少しは尊敬する皆様方に近づけるかなぁって思うんです」

湯気の立つマグカップをレオナードの方へ差し出し、彼が黙って受け取った後で、エンジュは向かい合わせた席にすとんと腰を下ろして、彼女にはやや大きめのマグカップを両手で抱えるようにして持ち上げた。

「で? まず手始めに、俺様に『天使』って呼んでもらうためにココに来たっての?」

レオナードはコーヒーをくいっと一口咽喉に流し込むとテーブルの上にマグカップを乗せ、エンジュの顔をじっと見つめた。

その顔があまりに真剣だったので、エンジュはコーヒーを飲む手を止めて俯いた。心持ち頬が赤くなっているのは、どうやら彼の指摘が図星だったからのようだ。

「別に……そういうつもりじゃ……」

「じゃ、んな話、ワザワザ俺様に『聞かせるため』だけにしたのかよ?」

「……そういう訳じゃ…ないですけど」

いつもの快活な少女らしからぬ、なんとも歯切れの悪い答えにも、レオナードはからかうでもなく、ただじっとエンジュを凝視していた。

やがて彼女がその雰囲気にいたたまれなくなって顔を上げた途端、レオナードは目を細め、真っ直ぐにエンジュを見据たまま口を開いた。

「呼ばねェから」

いきなりかけられた言葉に戸惑って、目をしばたたせているエンジュを見つめたまま、レオナードは笑顔も浮かべずに再び口を開く。

「他のヤツらは、お前に頼まれりゃあどんな呼び方だってしてくれるだろうよ。だから、そう呼んで欲しけりゃ他をあたれ。けど俺ァ、どんなに頼まれたってゼッタイ呼ばねェ」

「レオナード、様?」

エンジュが混乱して思わず呟くと、レオナードはふいっと視線を外して立ち上がった。

「っつうことで、これ以上ココにいる意味はねェよな? 早く他のヤツのトコ行けよ」

「え? で、でも…」

「ああ、コーヒーありがとよ。…ほら、グズグズしてっとあいつら帰っちまうぞ? 早く行けって」

「で、でも! レオナード様っ!」

訳がわからないエンジュは抵抗してみたが、レオナードに力で敵うわけがない。脇の下に手を入れられたかと思うと、あっという間に座っていた椅子から持ち上げられ、そのまま執務室の外まで連れ出されてしまった。廊下にすとんと下ろされた途端、慌てて後ろを振り返ったが、もうレオナードは扉を半分閉めかけている。

「レオナード様っ!!」

叫んだものの、彼は返事すら返さずに、そのまま扉を閉じてしまった。

 

「そんな仏頂面の大男に突っ立っていられると、部屋の雰囲気が悪くなるんだがな」

オスカーは苦笑を浮かべながら立ち上がり、ソファに腰掛けると向かいの席を指で示した。

「男に長居されるのは好きじゃないんでね。手っ取り早く終わらせるようにしよう」

「こいつァ偶然。俺様も男の部屋にいつまでも居たくないってェクチだぜェ。チャラチャラと女に愛想のいい、キザ野郎んトコは特にな」

「これはこれは。珍しく、意見が合うじゃないか」

くすりとオスカーが笑うと、レオナードは黙ってオスカーの向かい側のソファにどすんと腰掛け、背中と両腕を背もたれに預けて踏んぞり返り、大げさな仕草で足を組んだ。

「んじゃ、説教だかなんだかしんねぇが、チャッチャと済ませてもらおうかァ。こちとら、イロイロ忙しいのよ」

「ほう、あんたがそんなに仕事熱心だとは知らなかったぜ」

オスカーがわざと驚いたように肩をすくめると、レオナードもまた、さも呆れたとばかりに溜息をついてみせた。

「あっちは出来たばっかで、ちゃーんと面倒見なきゃならんてワケよ。早くこっちの守護聖サマみたいに、ヒマ潰しに他人サマにちょっかい出せるご身分になってみたいぜェ、ホント」

「その腹いせに、エトワールに八つ当たりか? ……はっ、どっちがヒマなんだか」

「んだとぉ!」

レオナードは、オスカーの馬鹿にしたような言葉に、思わず身体を乗り出した。だが、目の前の男はそんな事に動じた風もなく、レオナードの目に怒気が宿ったのを、唇の端に笑みを浮かべたまま観察している。

「お嬢ちゃんには口止めされたが、どうにも言ってやらなけりゃ気がすまなくてね。……あんな涙をみせられちゃあ、な」

「……涙?」

レオナードがぽつりと呟いた途端、オスカーは目の前の男を睨みつけた。