眉をひそめて覗き込んでくるアンジェリークに、レインは微かな笑みを浮かべながら、肩を軽く廻してみせた。
「ああ。ちょっと強く打っただけで、骨にも異常はないみたいだ。……少し、疲れたけどな」
「どこかで休んでいく? ここを曲がればクウリールだけど」
そう言ってアンジェリークは、隣を歩くレインを見上げた。すると彼はしばらく考え、やがて首を左右に振るとアンジェリークを見おろした。
「いや、やっぱりこのまま帰ろう。陽だまり邸に帰るくらいの体力は残ってるし」
「本当に大丈夫? 無理しないでね」
「大丈夫だって言っているだろう。おまえ、意外と心配性だな」
「だって……」
つぶやいて視線を逸らすアンジェリークの横顔を見つめていたレインは、しばらくして口元に微かな笑みを浮かべると、痛む腕とは逆の左手を動かして、アンジェリークの小さな右手に触れた。そして彼女が驚いて顔を上げると同時に、その手をぎゅっと握りしめた。
「そんなに心配なら、こうして捕まえていればいいだろ。これ以上、オレが無理しないように」
「レ、レイン…」
「その代わり、オレが疲れて倒れそうになったら支えてくれ」
「ええっ!?」
頬を染めたアンジェリークはレインを見上げて抗議の声を漏らしたが、いたずらっぽい笑みを浮かべる彼の様子に、やがて小さなため息をついてつないだ手を恐る恐る握り返した。
「わかったわ。これ以上無茶をされたくないから……陽だまり邸まで引っ張って行ってあげる」
そう言って、赤くなった顔を逸らすアンジェリークの横顔をちらりと見下ろし、レインは口元に笑みを浮かべた。
「いい、レイン? 帰ったら、ちゃんと怪我の具合を見てもらうのよ?」
「ああ、わかってるって」
さっきから何度も同じ言葉を繰り返すアンジェリークの様子に、レインは小さく苦笑いを浮かべた。
「帰ったらニクスに腕を見せて、ヒュウガに湿布薬を調合してもらう。で、ジェイドに栄養のある食事を作ってもらって、夜は早めに寝る……これでいいんだろ?」
アンジェリークの言葉を復唱すると、レインはくくっと咽喉の奥で笑った。
「心配性を通り越して、なんだか母さんみたいだ」
「レインったら、もうっ。茶化してばっかりなんだから」
レインが楽しそうに笑う隣で、アンジェリークは口を尖らせ頬を膨らませた。そうしてしばらく歩くうち、やがて木立の陰から見慣れた風景が現れた。
オーブハンターたちが集う場所。アンジェリークとレインが仲間とともに暮らす――陽だまり邸。
「やれやれ、ようやくお小言から解放されるな」
「もおっ!」
からかうような軽口をきくレインをちらりと睨んだアンジェリークだったが、その視線を段々と大きくなっていく屋敷に向けると、今度は穏やかな笑みをふわりと浮かべた。
「なんだか……いいな、こういうのって」
「ん? どうしたんだ?」
急におだやかな表情になったアンジェリークの様子に、レインが首を傾げた。するとアンジェリークは彼を見上げ、小さく肩をすくめて微笑んだ。
「あのね。帰るお家があるのって、いいと思わない?」
問い掛けるとアンジェリークは、夕日に染まる陽だまり邸の屋根を、眩しそうに目を細めて見つめた。
「迎えてくれる人がいて、暖かい食事と笑顔でいっぱいの食卓をみんなで囲んで、幸せな気持ちで眠れる場所があるっていいなって思ったの……そういう場所が、私にも出来たんだなって」
「アンジェ……」
レインがぽつりと呟くと、アンジェリークは振り返り、そして楽しそうに笑った。
「私、オーブハンターになってよかった。みんなに会えてよかった。レインが側にいてくれて……本当によかった」
アンジェリークの笑顔を見つめていたレインは、胸の辺りがきゅうっと締めつけられるような気がして、思わずアンジェリークの小さな手を握っている手に力を込めた。
『帰る場所』が出来たのは、アンジェリークだけではない。レインもまた、自分がどこに行こうとしているのか、どこに帰ればいいのかを、これまでずっと探していたのだから。
「家」ならばファリアンにある。だがそこには、レインを暖かく迎えてくれる家族もいなければ、幸せな寝場所もない。ただ屋敷という名の無機質な建物が存在しているだけだ。
だから旅の最中にも、そんな場所に帰りたいと思った事はなかったし、家族や家というものに執着もなければ求めようともしなかった。
だがアンジェリークと出会い、ニクスや仲間達と出会って共に過ごすうちに、レインの中で『帰る場所』を求める心が育っていった。ニクスやジェイド、ヒュウガ達みんなが集い、時に笑い、時に争ったりぶつかり合いながら過ごす、不思議と心が落ち着く空間。
そしてアンジェリークが隣にいて、ひどく懐かしい気持ちになれる場所――それが、陽だまり邸だ。二人はしばらく足を止め、沈みかけの太陽が放つ光に照らしだされる陽だまり邸を、まるで消えてしまうのを恐れるかのように、手を繋いだままじっと見つめていた。
「――オレもここに来てよかったって思うよ。みんなに……おまえに会えた、ここに」
自分の手を強く握ったまま、目を細めて屋敷を見ているレインの漏らした言葉に、アンジェリークは頬を染めて彼を見返した。
「なあ、アンジェ。オレは…オレたちはきっと、ここに来たんじゃない。たぶんオレたちは、帰ってきたんだ。…ずっと探していた帰るべき場所に、オレたちはようやく辿り着いた……そう思わないか?」
自分をじっと見つめるレインの瞳を見つめ返すと、アンジェリークは改めてレインの手を握り返し、彼の肩に頭をそっと押し付けた。
「ええ、そうね。私たちは帰ってきたんだわ……陽だまり邸に」
二人が佇んで屋敷を見ていると、しばらくして急に玄関の扉が開いた。照明を背後から受けた黒い影がひとつ姿を現すと、その人影は二人を見つけ、上げた腕を大きく振った。
「ほらニクス、俺の言った通りだろう? アンジェ、レイン! お帰り!」
ジェイドの声に続いて扉の影からニクスが姿を現すと、彼は胸の前で腕を軽く組み、小さく微笑んだ。
「二人ともお疲れさまでした。その様子だと、依頼の首尾は上々のようですね」
「だめだよ、ニクス。話はあとで、だろう?」
「ああ、そうですね。詳しい話は後ほど聞かせてもらうことにしましょう。お二人がそろそろ帰ってくるだろうと、時間を見計らってディナーの準備をしていたのですよ」
「今夜はヒュウガが、東方の珍しい料理を披露してくれるんだ。ほら、二人とも早く早く!」
ジェイドとニクスの笑顔を見ていたアンジェリークとレインは、やがてどちらからともなくお互いの顔を見合わせ、幸せそうに微笑んだ。そして相手の存在を確かめるように、互いの手を改めて握り直すと、玄関で待つ二人のもとへと同時に駆け出した。
ようやく見つけた帰る場所。二人で一緒に辿り着いた――大切な、我が家へ向って。