「気持ちいいなー。なんか潮風って、開放的な気分になるよねー!」
大きな伸びをしながら楽しそうな笑顔を浮かべる望美の隣で、足下の砂を蹴るようにして歩く将臣は口元に笑みを浮かべた。
「お前、前と言ってること違わね?」
「え、なにが?」
「向こうにいた頃は、鎌倉の海のそばを通るたびに『海の風って嫌い。髪がグチャグチャになっちゃうんだもん!』って怒ってたじゃねぇか」
将臣の言葉に、望美は少し首をかしげて考え込んだが、すぐに
「そんなこと言ったっけ?」と訪ね返す。
「言った。人の自転車の後ろに乗っかってるくせに、道を変えろとかわがまま言っただろ?」
「えー、そんなこと言った? 将臣くんってば、よく覚えてるね」
「俺は、お前と違って記憶力イイんだよ」
得意げに言った将臣だったが、急に不思議な感覚に捕らわれて苦笑した。
こちらに飛ばされてから三年半、過酷な現実に向き合うごとに、以前の記憶は揺らぎ薄れることが多くなっていた。平和な世界に生まれ生きていたこと、それこそがもしかしたら、自分の夢だったのではと思えるほどに。
なのにこの幼なじみのことだけは、逢えない間も薄れるどころか、日に日に記憶は鮮明に、想いは強く深くなっていた気がする。そしてこうして巡り合えてからは、彼女の何げない過去の日常のひとコマさえ、まるでスクリーンに映し出したように鮮明に思い出せる自分が、なんとなく滑稽で哀れに思えたのだ。
望美は将臣の笑みをどう理解したのか、しばらく怪訝そうに眉をひそめていたが、すぐにまた晴れやかな笑顔を浮かべ、歩む足を止めずに手を後ろに廻した。
「んーでもさ、なくなってみると気がつくことってあるじゃない? 鎌倉の海はずっと昔から側にあったから、近すぎて気がつかなかったんだよ、きっと」
何の気なしにそう言ってから、不意に望美は押し黙った。その気配は将臣に伝わり、彼もまた何かを考え込むように厳しい表情を浮かべた。
二人はお互いの顔も見ずに、黙ったままで歩いていた。この瞬間が消えてしまうのを恐れるように、日に照らされた白い砂を見つめながら砂浜を歩き続ける。
「――なくして、初めて気がつくんだ。それがどんなに大事で、大切な存在だってことに――」
こわばった空気を、柔らかく解きほぐすような将臣の声に、望美ははっとなって立ち止まった。そして同じように歩みを止めた彼の顔を、ゆっくりと見上げた。
「将臣くん…」
「俺も、気がつかなかった……あんまり近くに、いたから」
将臣が伸ばした手が、望美の長い髪に触れた。びくりと身体を震わせて肩をすくめる望美の様子に、将臣は小さく笑いながら、確かめるように優しく、彼女の髪を指で梳いた。
「……くすぐったいよ」
顔を赤らめて上目遣いに自分を睨む望美を見おろし、将臣は笑みを浮かべたまま髪から指をするりと離すと、彼女の頬にそのまま移動させた。
「お前、ムードなさすぎ。こういう時に、んなこというなっての」
「……じゃあ何を言えばいいの? い、今さら…すき……とか、そ、そういうことは、恥ずかしくて言えないからねっ!」
「そっちが先に言ってくれるなら……な、流れで言えるかもしれない、けど……」とモゴモゴと口の中で言い訳をする望美を、将臣はくすくすと笑いながらそっと抱き寄せた。
「いいぜ。今さら言わなくても…」
そして自分の瞳をじっと覗き込んでくる彼女にもう一度微笑みかけ、薄紅色をした柔らかそうな唇にゆっくりと顔を近づけた。
「言葉にしなくたって…こうすればわかるからさ……」
入道雲よりも濃く強く心に広がる想いと、真夏の日差しよりも熱い望美の体温と唇に、将臣はためらうことなく身をゆだね、溺れていった。