「おーい!」
畑の中にうずくまるようにして雑草を摘む懐かしい姿に、羽柴秀吉は嬉しげに目を輝かせると、隣を歩く恋人の手首を掴んで駆け出した。
「きゃっ!?」
腕を引かれたことに驚いて声を上げたほたるだったが、すぐに微苦笑を浮かべて秀吉の歩調に合わせて足を速め、彼が畑の端に辿り着くと同時に足を止めた。
「やっぱ、ここにいたか」
言いながらほたるの手を改めて握り直した秀吉は、空いている左手で己の逆立った髪を梳くように頭を掻いて眉をひそめた。
「かあちゃんよぅ、せめて行き先は伝えといてくれねぇか。オレらが城に着いたら、ご母堂様がおられませんって城中大騒ぎだったんだぜ?」
そう言って秀吉が肩をすくめると、ようやく顔を上げた秀吉の母=なかは息子をちらと振り返り、やれやれと言わんばかりに上体を起こして腰に手を当てた。
「そうは言うけどねぇ。あたしが『畑仕事をしたい』と言えば、そのようなこと殿のご生母様がなされることではございませんてみんなして止めるんだもの、仕方ないじゃないか」
「だから城の中庭に畑をこしらえたじゃねぇか。あそこなら皆の目が届くから、って言っただろ」
ため息まじりに秀吉が答えると、なかはふんっ!と鼻を鳴らして胸を反らせながら息子を軽く睨んだ。
「あんなちっぽけな畑の世話、あっという間に終わっちまうよ。物足りなくて、逆に退屈になっちまってねぇ…」
言いながらため息を漏らし視線を落としたなかは、改めて顔を上げると秀吉の隣のほたるに目を向け、今度は照れくさそうな笑みを浮かべた。
「まぁなんにしても、探させちまったなら悪かったよ。せっかくお姫様が来てくださるってのに、つい夢中になって時間を忘れてしまって申し訳なかったね」
「いいえ」
軽く首を振ってぽつり漏らしたほたるは秀吉をちらと見上げて手を離させると、両手を重ねてなかに向き直り深々と頭を垂れた。
「ご無沙汰をしておりました。改めて、ほたると申します」
「あれあれ、そんな堅苦しい挨拶よしとくれな。本当に、よく来てくれたねぇ」
戸惑った様子のなかの前で、ほたるは頭を下げたままひと呼吸置いて言葉を続けた。
「その節は、役目柄とはいえ身分を偽りましたこと、真に申し訳ございません。本来ならばこのようにお目通りすること自体、許されるべきではないとわかっております。ですが……どうかお許しください」
言ってしばらく頭を下げたままのほたるの様子に、やがてなかは微かに笑んでほたるに歩み寄ると彼女の肩を軽く叩いた。
「いい加減、顔を上げちゃくれないかねぇ。あの時のことでそんなふうに頭を下げられちゃ、あたしもあんたに謝らなくちゃならないじゃないか」
「え、なんで?」
秀吉が怪訝そうに首を傾げると、なかは呆れたように目を細めて肩をすくめた。
「お前も、大事なお姫様に頭下げさせてぼおっとしてんじゃないよ。まったく呆れた子だね」
「オレだって、そんなことしなくていい、かあちゃんはなんも気にしてねぇよ、って道すがらずっと言ってきかせたさ。けどほたるがどうしても謝りたいって譲らねぇんだから、仕方ないじゃねぇか」
「そこをなんとか言い含めるのがお前の仕事だろ? お前の舌先三寸は、ただの飾りかい?」
「舌先三寸たぁ失礼だなぁ。オレはことほたるに関しちゃ誠心誠意、真っ向正面からしか物申したこたぁないんだぜ」
自信ありげに鼻を鳴らす息子の態度に、なかは呆れたように肩をすくめた。それから尚も顔を上げないままのほたるに目を向けると、ゆっくりと息を吐き出した。
「あの時、あたしもすぐには名乗らなかった。秀吉のことを思って黙っていたわけだけど、それで返ってお姫様に迷惑かけちまった。だからあんたが謝るというなら、あたしも謝るのは当然さ。……あの時は本当に悪いことをしちまったね。どうか許しておくれねぇ」
言って深々と頭を下げたなかの態度に驚いたほたるは、慌てて顔を上げると身を乗り出して思わず叫んだ。
「そんな……顔を上げてくださいっ! 私、そんなつもりで……」
するとなかはすっと顔を上げ、自分を覗き込んでいるほたると目を合わせると、面食らったほたるに向かって破顔してみせた。
「ほれ、これでおあいこだ! だからこれ以上謝るのは、金輪際なしだよ」
「……え?」
「あんたもあたしも、お互い正体を隠してた。けど、今はどっちも本当のことを明かしたんだ。だからなにも負い目を持つ必要はないんだよ、ほたるさん」
名前を呼ばれてほたるが息を飲むと、なかは穏やかな笑みを浮かべて満足げにうなずいた。
「うちの息子は、今までも色々驚くようなことをしてきたもんだけど……あんたみたいないい娘を連れてくるなんて、今までで一番の大手柄だ。よくやったね、秀吉」
「かあちゃん……ありがとう、な」
照れくさそうに微笑んだ秀吉は、固まったままのほたるの手を取ると指を絡めてそっと握りしめた。その温かさに強ばりが解けていくのを感じたほたるは、感極まったように唇を微かに震わせた。
「お……かあ、さま……」
「天女と見まごうたあんたが、まさか私の娘になってくれるなんてねぇ……本当に夢のようだよ。どうか末永く、秀吉をよろしく頼みます。幾久しく、添うてやっておくれね」
なかの温かい言葉に、ほたるの大きな瞳から涙がひと雫こぼれ落ちた。肩を震わせて涙を流すほたるの身体を、秀吉は包むように抱き寄せた。
そんな二人の様子になかは満足げに目を細めていたが、やがて腰を屈めると地面に置いていた鍬を持ち上げ肩に担いで歩き出した。
「それじゃ、あたしは先に戻ろうかね。とびきりのご馳走を用意しとくから……秀吉、ちゃんと二人で、笑顔で帰ってくるんだよ」
「ああ……オレのほたるの笑顔は天下一品だから、ぜひかあちゃんに見せなきゃな」
秀吉の言葉に呆れたような笑みをこぼし、なかはゆっくりと城へと戻っていった。
やがて腕のなかのほたるが小さく息を吐いて顔を上げる気配を感じ、秀吉はほんの少し腕の力を緩めた。そしてほたるの真っ赤になった瞳に苦笑いを浮かべて目元をそっと拭ってやった。
「どうだい? いくらか胸の閊えは取れたかい?」
「……はい」と言ってゆっくりうなずいたほたるは、涙を拭う秀吉の手を両手で包むと彼を見上げて笑みを浮かべた。
「ん? どうした?」
「いえ……ただ、まぎれもなく秀吉殿のお母様だったなと思ったので」
言いながらくすりと笑うほたるに、秀吉は眩しげに目を細めながら口の端を微かに持ち上げた。
「そいつぁ褒め言葉ってこったよな?」
「ええ、もちろんです」
答えたほたるは自分の両手のなかにある秀吉の手を愛おしげに撫で、目を細めると嬉しげな笑みを浮かべた。
「秀吉殿、幸せになりましょうね……私が貴方を、絶対幸せにしてみせますから」
「ははっ、そいつぁ嬉しいわ。そんじゃオレは、ほたるを幸せにしちまおうかな。そしたら、おあいこだよな?」
「はい。おあいこ…ですね」
くすくすと笑うほたるを秀吉は改めて腕のなかに抱き込むと、満足げな吐息を漏らして目を閉じた。