ヴァイオリンアイコン

憂鬱な三日間

(3)

別に深い意味などない、いつもの新の軽口に近い言葉だった。だがそれを聞いた途端、火積は心臓を冷たい手でぎゅっと握られたような錯覚を覚えた。 箸を持つ自分の指先が微かに震えているのを見た火積は、新に悟られないようにそっと箸を皿の上に置くと、熱くなった湯呑みをわざとぎゅっと掴み口を開いた。

「……小日向は、物じゃねぇんだ。誰のもんとか……そういう言い方、すんじゃねぇ」

「そんなのわかってますよぅーだ」

箸を一本ずつ両手に持って軽く振る新の行儀を、いつもの火積なら窘めるところだ。しかし彼はぎろりと新を一睨みしただけで、湯呑みの熱さに手の平が赤くなっているのも構わず、煽るように熱い茶を飲み干した。

すると新は驚いたように目を大きく見開くと、今度は心配そうに眉をひそめた。そして湯呑みをテーブルに戻して苦々しい表情を浮かべる火積に、恐る恐る訊ねた。

「ほ、火積先輩……それ、メチャクチャ熱くない?」

「……うるせぇ」

咽喉が少し焼けたのか、常よりも更に擦れた声で火積がぼそりと漏らしたところで、ダイニングの入口がやけに賑やかになった。 火積と新が顔をそちらに向けると、先ほど「デザートを買ってくる」と言って外出したかなでと、彼女とのトランプゲームで負けてデザートを奢らされる羽目になった如月響也が戻ってきたところだった。

満面の笑みを浮かべているかなでは、どうやらお目当ての期間限定パフェを手に入れたようだ。彼女とは対照的に仏頂面を浮かべる響也を見れば、それがコンビニ商品にしてはかなり高めな一品なのだろうこともわかる。 そこへ、ちょうど風呂から上がってきたらしい八木沢雪弘と狩野航、伊織浩平が食堂へ入ってくるのを見つけたかなでは、笑顔を浮かべたまま彼らに駆け寄った。

「皆さん、これから晩ご飯ですか?」

「ええ。今日は少し汗をかいたので、先にお風呂を使わせていただいたんです」

にこりと八木沢は笑うと、笑顔のままちらりと視線を火積たちに向けた。

「火積、水嶋。二人ともカラスの行水だね」

「……すんません」

そう言ってきまり悪げに頭を下げる火積とは対照的に、新はすねたように唇を尖らせた。

「だって今日は暑かったし、シャワー浴びるので精一杯ですって」

「水嶋、暑い時こそ湯船にしっかり浸かって汗を出したほうが、上がってからすっきりするし体調も良くなるんだよ」

「なるほど。それじゃあ、明日はちゃんと浸かるようにします!」

上目遣いに天井を睨み考え込むような仕草をしてみせた新は、すぐに明るい表情を浮かべると今度はうなずいた。その切り替えの早さに八木沢達が苦笑すると、かなでは小走りに火積の側に駆け寄ってきた。

「じゃあ、火積くんももうお風呂済ませたんだね」

「……ああ」

真っ直ぐに向けられた視線に戸惑いつつ、火積は軽く頬を掻いた。するとかなでは音を立ててコンビニの袋をさぐり、中から長方形の包みを取りだした。

「それなら夕飯が済んだら、これを一緒にやらない?」

かなでの手の中にあるそれを覗き込んで、新は満面の笑みを浮かべた。

「うわぁ、花火だ! うん、オレやるっ!」

「よかった。じゃあ東金さん達にも後で声をかけなきゃ……」

新の方を振り返ったかなでが微笑むと、その横顔を見つめていた火積が不意に席を立った。そしてまだ半分以上もおかずが残っているトレイを持ち上げると、すっとかなでの横を通り抜けた。

「……俺は、いい。遠慮しとく」

「え?」

思ってもいなかった火積の言葉に、かなでは身体を固くした。その間にも火積は配膳室に向かうと、食べ残しを無言で始末し始めた。 そこへようやく我に返ったかなでが駆け込んできて、不安げな表情をうかべつつ火積の背中に声をかけた。

「もしかして昼間の練習で、疲れさせちゃった?」

「……いや。あれくらいで疲れたりしねぇ」

「じゃあ……私、なにか火積くんの気に障ることしちゃったとか……」

「んなこと…ねぇ」

「それじゃあ……」

断られた理由をなんとしても聞きたくて言葉を続けようとしたかなでだったが、火積が振り返って自分をじっと見つめてきたので、思わず頬を赤らめて息を飲んだ。すると火積はかなでからふいっと視線を外し、小さくため息をついてからゆっくりと彼女の方へ向かって歩き出した。

「ほ、づみ、くん?」

呟いて火積を見上げていたかなでだったが、そんな彼女の脇を火積は視線を合わせようとせずにすり抜けた。

「本当になんでもねぇんだ――それよりあんたはもう……俺に、構わねぇほうがいい」