なにげなく向けた視線の先に、彼女はいた。
同じ制服を着た友人と、楽しそうに話しながらこちらに向かって歩いてくる。
待ち合わせをしているのだから彼女がここにくることは当たり前なのに、そしてそれを自分も待っていたはずなのに、火積司郎はなぜか視線を外してベンチから素早く立ち上がると木の陰に身体を隠して息を潜めた。
別に彼女=小日向かなでを驚かそうと思ったわけではない。ただ友人達と談笑する彼女の姿が遠い存在のように思えて、自分がここに居てはいけないのではないか、という気がしたからだ。
しばらくして少女達のざわめきがすぐ近くで響き、「それじゃあ、またね」と聞き慣れた声が耳に届くと、火積は気配を殺したまま息を吐いた。顔を動かして立ち尽くす少女の後ろ姿にちらっと目をやると、かなでは一瞬辺りを見回してからすとんとベンチに座った。恐らく、火積がまだ来ていないと思ったのだろう。座ったまま一度大きく腕を空に伸ばして背伸びをすると、かなでは脇に置いた鞄を持ち上げ、中から携帯を取り出した。
彼女が携帯をいじり始めると、妖精のようなマスコットがついたストラップが揺れている。それは以前、火積がかなでに渡したものだ。
クレーンゲームで最初に取ったストラップは些細なことで壊れてしまったので、今彼女の携帯についているのは、火積が苦労して探し出した、いわば二代目だ。
「似たようなのしか、見つけられなくて」と詫びる火積に、かなでは「すごく嬉しい」と柔らかく微笑んだ。その笑顔に心臓が大きく高鳴ったのを思い出していると、かなでが携帯から顔を上げ、通りを見つめながらため息をついた。
そして、まさか火積が聞いているなどとは思ってもいないのだろう。ぼんやりと遠くに視線を合わせたままぽつりと漏らした。
「火積くん、まだかなぁ。……早く、会いたいのに」
何気なく漏らしたのだろうひと言に、火積は顔中が熱くなるのを感じた。そうして、こんなところに隠れている自分がひどく女々しく思えて、苦々しい表情を浮かべると、思わず舌打ちをしてしまった。
「えっ?」
それが聞こえたのだろう。かなでは弾かれたように腰を上げて振り返り、大きく見開かれた目で火積の姿を捉えると安堵の色を浮かべた。
「火積くん!」
「あ……」
見つけられてしまったばつの悪さに、火積は眉をひそめながら首の後ろを掻いた。
「悪い。その……友達と一緒だったから、俺は顔合わせねぇほうがいいんじゃねぇかと思って…な」
「そんなの、気にしなくていいのに」
言ってかなでは、屈託のない笑顔を浮かべた。真っ直ぐに向けられる彼女の笑顔は眩しくて、火積は思わず視線を逸らした。
だがかなでは、そんな彼の態度にすっかり慣れたらしい。特に気にした風もなく、改めて鞄を持ち直した。
「待たせちゃってごめんなさい」
「いや……そんなには、待ってねぇ」
ぼそりと呟いて、火積はちらりとかなでに目を向けた。すると彼女は小首をかしげ、火積と目が合うと嬉しそうに微笑んだ。
「あのね。今日は、ちょっと思い切り音を出してみたいの。だから海か練習スタジオのどちらかに行きたいんだけど、いい?」
「あ、ああ。かまわねぇ」
火積がうなずくと、かなではまた微笑み、当たり前のように彼の隣に並んだ。そして、戸惑いながら歩き出した火積の顔を覗き込んだ。
「音響のことを考えると練習スタジオのほうが良いんだと思うんだけど、トランペットの音って海のほうがよく響くでしょ。だから、どっちにしようか迷ってるの。火積くんは、どっちがいい?」
「なら……スタジオのがいいだろ。ファイナルに向けて、あんたの音を仕上げることが重要なんだし」
言ってちらっとかなでを見ると、彼女は「うん、そうなんだけど…」と言いながら、火積から視線を逸らして頬をほんのりと染めた。
「でも……私、火積くんの音、海で聞くのが好きなの」
彼女のひと言は、いつも火積の心臓を大きく波打たせる。知らず知らず赤くなる顔を背けた火積は、深呼吸を繰り返しながら声を漏らさないように胸の内で叫んだ。
『落ち着け、火積司郎っ! こいつが好きだってのはあくまでペットの音だっ! 俺のことどうこう言ってるわけじゃねぇっ!』
「火積くん…?」
自分と視線を合わせようとしない火積の態度に、かなでは不安になったのか、眉をひそめて小さく彼の名を呼んだ。すると火積ははっと我に返り、慌ててかなでの方に向き直ったのだが、彼女の顔を見た途端にまた顔を赤らめて口元を手で覆いながら小さくため息をついた。
「そ、そんじゃあ、そのっ……う、海にしとく、か?」
ぽつりと漏らす火積の提案に、かなでの表情はみるみる明るくなった。そして嬉しそうに目を細めて大きくうなずくと火積の腕に抱きついてきたので、彼はまた心の中で悲鳴を上げた。