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年越しの前に

 

このところ、幼なじみの帰りが遅い。

今日もまた、もう夕飯の時間だというのに姿の見えない小日向かなでのことを考えながら、如月響也は怪訝そうに眉をひそめた。

「バイトしてるわけでもないのに、なんで遅くなんだよ。まさか……補習させられてるとか?」

確かにぼやっとしたところがあるかなでだが、成績はそう悪くはないはずだ。なので居残りをさせられているとは考えにくいが、他に目ぼしい理由が思いつかない。

頭を掻きながらため息を漏らす響也の前で、それまで彼の存在を無視して雑誌をめくっていた支倉仁亜が、途端にくくっと咽喉の奥を鳴らした。

「……幼なじみ弟は、ずいぶんと過保護だな」

呆れたような仁亜の言葉にむっと眉をひそめた響也は、今度は肩を軽くすくめてから腕を組んだ。

「仕方ねぇだろ。あいつになにかあったら、田舎のじいさん達が揃ってオレを責めるんだから」

「普通、そういうのは年長者に言うもんだろ。なんで律じゃなくてオレなんだ……」とぶつぶつと文句を続ける響也にちらっと視線を走らせてから、仁亜はまた雑誌に視線を落として唇の端を持ち上げた。

「安心しろ。小日向は、君が心配するようなことには巻き込まれてはいない」

「……お前、なにか知ってんのか?」

「厄介なことばっかり、いつも押し付けられんだよなぁ……」などとぼやきながらも、仁亜の言葉に身を乗り出す響也の表情はやや不安げで、言動とは裏腹にかなでのことを案じているのがよくわかる。

すると仁亜はまた小さく笑い、今度は雑誌を閉じてから顔を上げ、両の肘をテーブルについて顎を乗せた。

「ああ。彼女は、ちょっとした習い事をしているんだ」

「習い事……なんだ、それ?」

わけがわからない、と言いたげに眉をひそめ首をかしげる響也の様子に、仁亜は楽しそうに笑みを深めた。

「着物の着付けだよ。短期間だから完璧に着るのは無理でも、せめて振り袖の乱れくらいは直せるようにしておきたいそうだ」

そう言ってくすりと笑う仁亜を、響也はぽかんとした表情で見おろした。まったく予想もしていなかった返答に、しばらく言葉を失っていたが、やがて瞬きを数回繰り返してからぽつりと漏らした。

「なんだってまた、急にそんなことを思いついたんだ?」

「もうすぐ正月だぞ。正月といえば初詣で、振り袖の出番じゃないか」

言って仁亜が含みのある笑みを浮かべたが、相変わらずさっぱりわからない響也はただ首をかしげるだけだ。

「そりゃあわかるけど。けど着物なんか、着たけりゃ美容院にでも行けばいいだろ。予約とか、しとけばいいんじゃねぇの?」

「着せてもらう分にはな。だがその格好で長時間電車に乗っていたら、向こうに着くころには着崩れを起こしてしまうだろう? だから、そういう時の対処を自分一人でも出来るようになりたいらしい」

「そんなの着せてもらった美容院に頼めないのかよ? だいたい長時間電車に乗るって、どこの神社まで行くつもりなんだ?」

呆れたように漏らす響也の様子に、こいつ本当にわかっていないんだなと言いたげに仁亜は肩をすくめた。

「まったく…まだわからないのか? そんなもの、仙台に決まってるじゃないか」

「はぁ!? なんでわざわざ仙台……あ」

驚いて目を見開いた響也だったが、そこまで言われてようやく合点がいったらしい。ゆっくりと乗りだした身を引くと、長いため息を吐きながら肩を落とした。

「あいつ……馬鹿じゃねぇの」

「やれやれ、女心のわからない幼なじみだ。初詣でで、火積司郎に振り袖姿を見せたいからと着付けを習うなんて、どうにもいじらしいものじゃないか」

ふふっ、と仁亜が笑いながら再び雑誌のページをめくり始めると、響也は呆れたようにため息をついて頭をくしゃりと掻いた。

「……ったく。かなでの奴、昔から思い込んだら一直線だったからなぁ」

今年のクリスマスプレゼントという名目で、着付け代くらい出してやるか(当然、律にも折半させるつもりだ)と響也が肩をすくめたところへ、帰宅を告げるかなでの元気な声が玄関から響いてきた。

おわり