すっかり日が落ちて暗い夜道を、街灯の明かりを頼りに足早に進んでいた火積司郎は、ふと耳に届いた音に足を止めた。
つい数日前まで、まるで毎日が祭りのように大騒ぎだった蝉とは違う、己の出す音を確かめるようにゆっくりと響く音。
――リーン
――――リーン
「……もう、すっかり秋か」
文字通り小さな鈴を鳴らしているような羽音に、火積は小さく呟いて目を細めた。
鈴虫の鳴き声を聞くと、これまでだって「秋」を意識した。しかし今日に限ってやけに物悲しく寂しげに聞こえるのは、今年の夏に聞いた蝉の声が賑やかすぎたからかもしれない。
「特に今年の夏は……騒がしかったからな」
いつだって、夏はなんとなく心浮き立った。自分が夏生まれで、暑さに比較的強いというのもあるのだろうが、火積は四季の中で一番夏が好きだ。
ぎらぎらと輝く太陽は確かに暑いが、日が長いと何をするにも気分的に余裕が出るし、日が落ちれば多少でも気温が下がるから、夜の涼しさのありがたみを他の季節よりも実感できる。だから夏が終ると、いつもどこか寂しさを感じていたものだ。
だが今年は、鈴虫の声にさらに寂しさを感じるのは何故なのだろう。心にぽっかりと穴が開いたようにすら感じてしまうのは、いったいどういうわけだ?
自問自答しながら、鈴虫の声がするほうをじっと凝視していた火積だったが、その唇が小さく動いた。
「……元気でやってるといいんだがな」
無意識にぽつりと漏らし、火積ははっとして思わず口元を押さえた。だがすぐに己と鈴虫以外誰もいないのだと思いだすと、それでも誤魔化すような咳払いをしてから再び歩き出した。
「――ったく。こないだ声を聞いたばかりじゃねぇか」
自分自身を叱責した火積は顔を赤らめ、更に足を速めようとしたところで、ズボンのポケットに無造作に突っ込んでいる携帯電話が震えていることに気がついた。
「――もしもし」
「あ、火積くん? 私、小日向かなでです」
着信欄に名前と番号が表示されるのだから、出る前からかけてきた相手はわかっている。それでも毎回名乗るかなでの律義さに、火積の口元に先ほど消えた笑みがまた浮んだ。
「ああ。どうした?」
かなでのことを考えていたところで、本人から電話がかかってきた偶然に驚くやら照れ臭いやらで、いつもよりも更に声がぶっきらぼうになってしまったが、そんな火積の不器用さにすっかり慣れたらしいかなでは気にした様子もなく、いつもと同じ明るい声で言葉を続けた。
「あのね、練習終ってこれから寮に帰るとこなの。それで……火積くん、どうしてるかなって」
「そうか……俺も、いま帰るとこだ」
「え、ほんと? す、すごい偶然」
「ああ、そうだな」
「だよね? あ、もしかして……私と火積くんってテレパシーが使えるのかも!」
余程嬉しかったのか興奮気味にとんでもないことを言い出したかなでに、火積は驚いたように目を見開いたが、すぐにくくっと声を押し殺して笑った。すると電話の向こうのかなでは一瞬息を詰めたが、火積につられたようにくすくすと笑い出した。
かなでの可愛らしい笑い声と、辺りに響く鈴虫の声が火積の耳元で重なり、ゆっくりと彼の心に染み込んで溶けていく。騒がしい蝉の声がなくとも、燦々と降り注ぐ夏の日差しがなくなっても、彼女は変わらずにいてくれる。お互いに住む場所は離れても、心の距離は近いままだ。
「――そうだな。鈴虫の声ってのも、そんな悪かねぇ」
「え? ごめん、今なんて言ったの?」
「いや……本当にテレパシーかもしれねぇ、ってな」
笑みを浮かべたまま呟いた火積は、困惑するかなでの声を届けてくれる携帯を愛おしげに握り直した。