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この瞬間の精一杯

 

「かなでちゃん…」

午後のひととき、八木沢お手製の水ようかんに諒をもらって満足げに目を細めていたかなでは、コンビニから帰るとそのまま食堂に直行してきた新のいつになく真剣な表情に驚き、口元に運ぶスプーンの動きを止めた。 すると新はテーブルの上に買ってきた激辛ポテトチップの入ったビニール袋を置き、かなでの顔を覗き込んだ。

「この間、ハルちゃんたちとプールに行ったってほんと?」

真剣な表情や口振りとは裏腹の間抜けな問いに、かなでの前に座っていた八木沢は水ようかんを租借するのも忘れてそのまま飲み込んでしまった。と、かなでもぽかんと新を見つめたが、すぐに困ったように眉をひそめて小さくうなずいた。

「あ、えと……うん」

すると新は上体を起こして大げさに肩をすくめ、口を尖らせた。

「ずっるーいっ!! オレも一緒に行きたかったっ!」

「ず……ずるいって言われても」

かなでが思わず呟いたのと、それまで我関せずと水ようかんを食べていた火積の眉間にしわが寄ったのはほぼ同時で、彼は黙って立ち上がると「ずるいずるい!」と騒ぐ後輩の頭をごつんと叩いた。

「Ai!!」

「……うるせぇって、何度言えばわかんだ」

「えーっ、今日は初めて聞きましたよぉっ」

「毎日毎日言わなきゃわかんねぇってのか? なら、てめぇの頭は鳥以下だな」

「ううっ……火積先輩、いろんな意味でひどい」

涙目になる新と、彼を睨んだままの火積を交互に見比べ困惑するかなでだったが、そこにようやく落ち着きを取り戻したらしい八木沢の穏やかな声が響いた。

「二人とも、もういいだろう。水嶋、冷蔵庫に水ようかんがまだ入っているから、それを食べて少し落ち着きなさい。さ、火積も座って……小日向さん、お騒がせしてすみません」

「あ……い、いいえ」

曖昧な笑みを浮かべてかなでが首を振ると、八木沢は柔らかく微笑み返してきた。そんな二人をちらっと見た火積は小さく肩をすくめ、改めて椅子に座り直す。 そうなっては、さすがに新もこれ以上騒ぐのは居たたまれなくなったらしい。まだ不満そうに頬を膨らませてはいるものの、火積から一つ空けた椅子にすとんと座ると、改めてかなでに向き直った。

「それじゃさ。明日でいいから、オレと一緒にプール行こ?」

「明日?」

にこにこと笑いながら言う新に、かなでは目を白黒させた。と、またも火積の眉間にしわが寄り、テーブル越しに少し身を乗り出した火積は新の頭を再び叩いた。

「いったっ!! もぉ先輩、何度も叩かないでくださいってばっ!」

「てめぇが、叩かれるようなことばっか言うからだろうが!」

「なんでですか? かなでちゃんをプールに誘ってなんで悪いんですかぁ!」

言うと新はぐるりと身体ごと横を向き、火積を睨むようにして頬を膨らませた。

「だってオレ、かなでちゃんの水着姿見たいもん。先輩だって見たいでしょ!?」

あけすけな新の発言に八木沢とかなでは身体を硬直させ、直接問われた火積は一瞬顔を引きつらせてから顔全体を朱に染めた。

「……っ! な、お、おまっ!?」

しどろもどろになる火積の様子に新は溜飲を下げたのか、やや意地悪げに目を細めて笑ってから両腕を胸の前で組み、うんうんと何度もうなずいた。

「やっぱそうですよねー。可愛い女の子の水着は人類の宝、男のロマン。かなでちゃんならワンピースでもビキニでも、きっと似合うと思うんだよねー」

「ビ……ビ、キ……」

思わず呟いた火積は無意識にかなでに視線を向け、何か想像してしまったのだろう。赤らめた顔をさらに上気させると右手で口元を押さえてうつむいてしまった。 そんな火積の態度に気がついたかなでは我に返ると頬を染め、中腰になってテーブル越しに身を乗り出しながら叫んだ。

「や、やだっ! わ、わたしビキニなんて、そんな火積くん以外の人にっ……」

「って……」

慌てて叫んだかなでの言葉尻を捉えた新は目を見開くと、かなでをまじまじと見つめて口を開いた。

「じゃあ……かなでちゃん、火積先輩にはビキニ姿を見せてもいいんだ」

「……え?」

新の指摘に、かなではぽかんとした表情を浮かべた。が、しばらくして彼の言葉の意味を飲み込んだ途端、瞬間湯沸かし器のように顔を真っ赤に染めて大きく首を振った。

「えっ、あ、あのっ! そ、そうじゃなくてっ! い、今のはっ、い、勢いっていうかなんていうかっ……っ!」

「なら火積先輩、一緒に行きましょうよ。そしたらかなでちゃんのビキニ、オレも見られるし♪」

「え、ええっ!?」

「んだと、水嶋っ!! 誰がてめぇなんかに小日向の……っ!」

驚いて叫ぶかなでの声に被さったのは、思わず立ち上がった火積の怒鳴り声だ。 そのまま新の胸倉に腕を伸ばしたが、そこではっと我に返るとちらりと視線をかなでの方へ向けた。そして彼女がぽかんとした表情で火積を見ているのに気がつき、まるで熱いものに触れてしまったように慌てて新から手を離して後ろに飛びし去った。

なにか言いたげに口を開こうとするかなでを手で制すると、椅子にどかりと腰掛けて額を押さえて呻いた。

「……悪い。あんたの、その……み、水着とか…そ、想像したりして……」

火積のつぶやきに反応したのか、かなでもまたゆっくりと椅子に座り直すと恥ずかしそうにうつむいてしまった。

「あれ? ちょっと、二人とも?」

軽くからかってみようと思っただけなのに想像以上の反応を返された新は、そこでようやく火積とかなでの間の空気に気がつき瞬きを何度も繰り返した。

「あの……まさかとは思うんですけど、もしかして、火積先輩とかなでちゃんって……」

勢い込んで上体を前のめりにしたところで、それまで状況を観察していたらしい八木沢に腕を引っ張られて立ち上がらせられてしまった。

「水嶋、悪戯はそこまで。僕らは、そろそろ退散しようか」

「わ……え、でも八木沢部長、いまからが本題だしっ……わわっ!」

抗議の抵抗を続けた新だが、八木沢の力は意外に強くて、結局そのままずるずると引きずられてしまった。そうして食堂を抜けて玄関ホールまで連れてこられた新は、八木沢の穏やかな顔を恨めしそうに軽く睨んだ。

「もーっ、いいところだったのに。……あの二人、怪しいなぁ」

「そうかもしれないけれど、それは僕らが口を出すことではないよ」

くすりと笑う八木沢の態度に、新はつまらなそうに口を尖らせた。

「ありますよ! かなでちゃんは皆のかなでちゃんなんだからっ! だいたい部長だって、かなでちゃんと一緒にプールに行ってみたいって思うでしょ?」

「うーん……いや、僕は止めておくかな」

「えーっ! なんでですかぁ!」

頬を膨らませる新を見上げた八木沢は、口元に微かな笑みを浮かべながら呟いた。

「だって怖いじゃないか。火積を、本気で怒らせるなんて」

おわり