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まだ慣れない電話

 

自分の気配にまったく気がつかず、携帯を握りしめている小日向かなでの背中を、支倉仁亜は扉に背をもたれながら笑みを浮かべて観察していた。

小さな音を立てて携帯のキーを叩いていたかと思うと、ふとその手を止め、天井を仰いでしばし動きを止める。そして小さく息を吐いて肩を落とすと、また視線を携帯に戻して、恐る恐るキーに指を伸ばした。だが、すぐにまたその動きを止めて、今度は携帯を見つめたままため息をつく。

これを仁亜が部屋に入ってきてからだけで、すでに5回以上繰り返している。このままもうしばらく見ていても楽しいのだが、放っておいたらそれこそ明日の朝まで同じことを繰り返しているかもしれないと冗談抜きで思った仁亜は、くくっと小さく笑うと忍び足でかなでのすぐ後ろに歩み寄った。

「……メールよりも、やはり電話がいいと思うぞ」

「うひゃあっっ!!」

素っ頓狂な声をあげたかなでは、文字通り椅子に座ったままで飛び上がった。そしてバクバクいう胸をぎゅっと押さえながら椅子ごと振り返り、身体を前に折り曲げて爆笑する仁亜を恨めしげに見つめた。

「も、もうっ! 入ってくるなら声をかけてよっ!」

「三回ほどノックしたし、声もかけた。だがまったく返事がなかったんだが?」

涙を指で拭いながら仁亜が言うと、かなではまばたきを数回繰り返した。どうやら外部からの音にはまったく気がつかないほど、先ほどの作業に没頭していたらしい。

「こんな夜に出かけているはずもないし、かといって寝るには早過ぎる。もしや倒れているのではないかと覗いてみたのだが……」

「そ、そうだったんだ。……ごめん、心配かけて」

「いや。おかげで面白いものを見れた」

にやりと唇の端に笑みを浮かべる仁亜とは対照的に、かなでは顔を真っ赤に染めて口をヘの字に結んだ。

「ニアのいじわる……」

上目遣いでもらすかなでの恨み言に仁亜は声を立てて笑い、くるりときびすを返した。

「まぁ、何事もなかったならいい。邪魔者は退散するから、愛しの君へ早く連絡してやるんだな。きっと待ちかねているぞ」

「あ……うん」

更に顔を赤らめるだろうと予想していた盟友は、仁亜の想像とは違ってほんの少し表情を曇らせ手元の携帯を見つめた。その様子に仁亜も怪訝そうに片眉を上げると、半身だけ振り返ったまま立ち止まった。

「どうした?」

問いかけたが、かなでは携帯を見つめたままで、やがて小さくため息をついた。そこで仁亜は眉をひそめて振り返ると、ゆっくりと腕を組んだ。

「まさか…もう喧嘩でもしたのか?」

するとかなでは弾かれたように顔を上げ、すぐに首を振った。その態度があまりに必死だったので、仁亜は思わず苦笑を浮かべた。

「では、なんだ? 喧嘩をしたわけでもないのに連絡したくないというと……もしやあの男が浮気でもしたか?」

「ちっ、違うよ! そんなのあるわけないもんっ!」

必死の形相で怒るかなでを目を見張って見つめた仁亜だったが、やがて口元に手を添えてくっくと声を漏らした。

「冗談だ、そんなに怒るな。あの男が君以外の女子に興味を持つなど、地球最後の日がきてもありえないから安心しろ」

そう言いきって仁亜が笑い続けていると、かなでは一瞬ぽかんとした表情を浮かべたが、すぐに頬を赤らめて恨めしそうに仁亜を睨んだ。

「……面白がってるでしょ?」

「ああ。すこぶる楽しませてもらっている」

「もぉっ」

ぷうっと頬を膨らませたかなでだったが、自分の態度が我ながら面白くなったのだろう。ぷふっと小さく吹きだすと、仁亜につられたようにくすくすと笑いだした。

そうしてひとしきり二人で笑いあったところで、かなではまた携帯をちらっと見ながら小さくつぶやいた。

「ほんとはね、今すぐ声を聞きたいの。なにしてるのかなって、すごく気になる。でも……もしかしたら忙しいかなとか、練習大変で疲れて寝ちゃってるかもとか、そうしたら起こしちゃ悪いよねとか、そういう余計なことばかり考えちゃって、電話してもいいのかなって……」

そう言ってため息をつくかなでをまじまじと見つめた仁亜は、やがて呆れたように息を吐いた。

「くだらない心配だな」

言い捨てる仁亜に目を向け、かなでは少しだけ怒ったように眉をひそめる。すると仁亜は肩をすくめると、再びきびすを返した。

「いいか。あの男がここにいた時、この時間何をしていた考えてみるといい」

「え?」

「消灯時間までラウンジで仲間と談笑、という性格じゃなかっただろう。さっさと自室に篭っていたじゃないか。ま、おおかた部屋でぼおっと君のことでも考えていたのだろうさ」

「そっ!?」

かあっと顔を赤らめるかなでを肩越しに見て、仁亜は目を細めた。

「横浜に来たからといって習慣を変えるタイプではないだろうから、おそらく地元に帰った今も同じだろう。そう考えれば……そうだな。いまごろはあの男も、君に電話をしようかしまいか悩んでいるところじゃないか?」

「…………ひゃっ!」

仁亜の返答に聞き入って黙り込んでいたかなでは、急に手の中にあった携帯が震えだしたのに驚いて、また椅子の上で飛び上がった。その様子に仁亜はにっこり笑うと、またドアの方へ向かって歩き出した。

「どうやらしびれを切らせたのは、あちらが先のようだ。――それじゃあ、お休み」

「え、あ! お、お休みニア! ……も、もしもしっ!」

慌てて携帯を耳に当てたかなでは、電話口から聞こえてきた声に表情をゆるめた。その幸せそうな笑みをドア越しにちらっと盗み見た仁亜は目を細めると、ゆっくりと扉を閉めた。

 

「……ううん平気。あのね、火積くん。私もいま電話しようと思ってたんだけど……え? うん…………そっか……ふふっ」

「……なんだ? なんか面白れぇこと言ったか?」

「ううん。ただ、私たち同じこと考えてたんだなって……」

おわり