ヴァイオリンアイコン

手を繋いで何処までも

 

「ごめん、待たせちゃった?」

駆け寄ってきた小日向かなでは、振り返った氷渡貴史の前で止まると肩で大きく息をついた。

「約束した時間はまだだぞ。別に、走ってこなくても」

荒い息を繰り返すかなでを呆れたように見返した氷渡に対し、かなでは顔を上げると照れたように笑った。

「うん。でも氷渡くんが見えたら嬉しくて、つい走っちゃった」

「…き、昨日も学校で会っただろうが」

かなでの言葉を耳にした氷渡の顔にさっと朱が走ったが、それを隠すように視線を逸らして氷渡はかなでの頭をくしゃりとかき回した。

「お前、とろいんだから走るんじゃねぇよ。こけて怪我したら面倒だろ」

「きゃっ! もうっ、せっかく髪セットしてきたんだからくしゃくしゃにしないでっ!」

「は? いつもとおんなじにしか見えねぇ」

憎まれ口をきいてかなでを見下ろすと、彼女は頭に乗っている氷渡の右手を両手でつかみ恨めしげに彼を見上げた。

「いつもと同じように見せるのがテクニックなんですぅ!」

言って小さな舌を出して見せたかなでは、そのまま氷渡の掌に右手の指を絡ませて握ると小首をかしげて笑みを浮かべた。

「そろそろ行こうよ、氷渡くん。早くしないと、あっという間に行列になっちゃう」

「あ、ああ」

当たり前のように滑り込んできたかなでの手の小ささと温かさ、向けられる笑顔にまだ慣れなくて、氷渡はぎこちなく相槌をうってから帽子を目深に被りなおして歩き出した。

 

かなでが行きたい!と言っていた最近オープンした雑貨店は、早めに着いたこともあってそう並ぶこともなく入ることが出来た。

店内ではしゃぐかなでに、最初は律儀に付き合っていた氷渡だったが、可愛い小物を前にしたかなでのパワーに圧倒されつつあったところへ、見回す視界に女子しかいないことに気がついて急に気恥ずかしくなり、「外で待ってる。気が済むまで見てていいぞ」と一言残して退散することにした。

下手をすると数時間単位で待たされるかと覚悟をしたが、意外にもかなでが出てきたのはそれから僅か数分後だった。

「もういいのか? 俺に遠慮してるんだったら…」

「ううん、欲しいものはさっき見つけてから大丈夫だよ。混んでるのに、付き合ってくれてありがとう」

言ってにこりと笑うかなでを、氷渡は観察するように見てから目を細めた。

「買ったモン、持ってねぇようだけど」

「え? ああ、ここに入ってるから大丈夫」

にこにこと笑いながらかなでは、肩にかけているショルダーバックを軽く持ち上げてみせた。その言葉に嘘はなさそうだと感じた氷渡は、ふっと表情をゆるめてからかなでの手首をつかんで歩き出した。

「それじゃ、今度は俺に付き合えよ。人混みで喉渇いちまったから」

「うん!」

元気に返事を返したかなでは、氷渡が絡めてきた指を握り返して「えへへ…」と小さな声を漏らした。

「んだよ、気持ち悪い笑い方すんな」

「ふふっ、ごめん。氷渡くんから手をつないでくれたのが嬉しくて、つい」

「…言ってろ、馬鹿」

『くそっ…さっきから可愛いことばっか言いやがって。少しはこっちの身にもなれっってんだ!』

 

「氷渡くん、はいこれ!」

ようやく落ち着いたカフェで紅茶を口に含んだ氷渡に向かって、かなではショルダーバックから取り出した小さな紙包みを差し出した。

「なんだ?」

受け取った氷渡が裏表と返しながら首をかしげると、かなでは笑みを浮かべたまま「メリークリスマス!のプレゼントだよ」と言って目を細めた。

「はぁ? お前、クリスマスは10日後だぞ? 気が早いだろ」

呆れたように息をついて小さな紙袋をかなでのほうへ突きつけると、かなでは軽く眉をひそめて自分の前の小ぶりのフォークを手に取った。

「いいじゃない! 確かにちょっと早いけど…ほんとのクリスマスは二人で過ごせないし…」

言って視線を落としたかなでは、見るからに甘そうなチョコレートケーキの上のホイップクリームをフォークでつついた。

「イブもクリスマスもチャリティー演奏会で一緒だけど、室内楽部の皆も一緒だから…それってちょっと違うかなって…だから、二人だけの時に渡したかったっていうか…」

ぼそぼそと漏らすかなでの一言一言に反応したように、氷渡の顔が徐々に赤くなっていく。かなでがうつむいてくれているのは幸いだったと胸の内で安堵しながら、氷渡はすっかり熱をもった頬を人差し指で軽く掻いた。

「そ、そういうことなら、まぁ…少し気が早いが受け取ってやる。……ありがとうな」

氷渡の言葉にかなでは顔を上げると、嬉しそうに目を細めて小さくうなずいた。

「うん、ありがとう」

「おい、渡すほうが礼を言ってどうすんだよ」

苦笑してから「開けていいか?」と問うと、かなでは「もちろん!」と元気よく返してフォークの上にホイップクリームを乗せた。幸せそうに生クリームを口に運ぶ彼女の様子に笑みを浮かべながら、氷渡はリボンが添えられている小さな紙袋から取り出したそれを、手の平に乗せてみせた。

「これ…チェロか?」

「そう、チェロのキーチェーン。可愛いでしょ? ちょっと氷渡くんの趣味とは違うかなって思ったけど」

手の上で鈍く光るシルバーを基調としたチェロのアクセサリーは、確かに日頃の氷渡の好みからは程遠い。しかしいかにもかなでが気に入りそうな小ぶりで控えめなデザインは、氷渡の目にも好ましく思えた。

「まぁ…悪くはねぇ、と思う」

「ほんと? よかったぁ!」

ほっとしたらしく安堵の息を吐いたかなでは、それからは堰を切ったように言葉を重ねた。

「前に楽器のアクセサリーがあったよって友達に教えてもらったの。それで、もしチェロがあるなら氷渡くんにあげたいって思って、あのお店になら置いてあるんじゃないかなって…」

そこで一週間前に店に問い合わせ、在庫を確保しておいてもらったのだとかなでに聞かされた氷渡は、小さなアクセサリーから視線を上げた。

「だからあれこれ悩んでたわりに、出てくるの早かったのか」

「うん。本当は会う前に買えたら良かったんだけど、入荷予定が昨日で行けなかったの。だからいろいろ見てたら、氷渡くん飽きて外で待ってるって言うかなぁって。それからこっそり買って驚かせようと思って」

「……ったく」

「でも、ほんとそれ可愛いよね。私もヴァイオリンの買えばよかったな。そしたらお揃いでつけられたのに」

呆れるやら嬉しいやらで、どんな顔をすればいいのかわからず、氷渡は目深に被っている帽子を更に下げ片手で頭を抱えた。

「氷渡くん?」

無邪気なかなでの声に氷渡は深く息をつくと、頭を抱えたままゆっくりと口を動かした。

「クリスマスだの誕生日だの、なんだって女はイベントのたびに張り切るんだよ? ずっと昔に死んだ外国のおっさんの誕生日なんか、俺にとっては特別でもなんでもねぇ。そんなもんをいちいち祝うなんて、ほんとうっとうしいし、めんどくせぇ…」

「氷…渡くん」

かなでの声音が寂しげになったのを感じた氷渡は、また小さく息を吐いた。そして一呼吸おいてから顔を上げ、まったく引きそうにない頬の熱を感じながら、恨めしげにかなでを睨んだ。

「そう、思ってたのに…お前にプレゼントもらったら、嬉しくてたまらねぇ。全然知らないおっさんの誕生日、全力で祝ってやりたくなっちまったじゃねぇか…どうしてくれんだよ、小日向」

「氷渡くん…」

沈んでいたかなでの声にいつもの快活さが戻ったのを感じた氷渡は所在なげに頭を掻いてから、ぶっきらぼうに口を尖らせた。

「それ、早く食っちまえよ。そしたらあの店に戻るぞ」

「え…?」

「プレゼントもらいっぱなしってわけにいかねぇよ。ヴァイオリンのキーチェーン、俺が買ってやる。そしたら……お揃いにできるだろ?」

ぱあっと花が咲いたような笑顔を浮かべるかなでの様子に、氷渡は今まで生きてきた中で始めてイエスキリストなる人物に本気で感謝の言葉を捧げた。

おわり