その言葉が唯一の繋がり

 

――あいかわらず、子供じみたことがお好きなことだ。

独りごちて薄墨色の空を見上げたオスカーは、ふわりはらりと舞う雪を手の平に受け止めながら、自然に己の口元に浮かぶ笑みに気がついた。

「なんて、俺も人のことは言えないか」

聖地を覆わんと降り積もる粉雪は、主星出身の女王陛下が『故郷の習わし』に沿うのだと言って、自分の力を使って降らせているものだ。

「ホワイトクリスマスって言うの。素敵でしょ?」

そう言ってにっこり笑う至高の少女に対すると、さしもの厳格な首座の守護聖も強くは出られないらしい。

自分が辺境惑星に視察に行っている間に、二人に一体どんなやりとりがあったのだろうと想像したオスカーは、もう一度かすかに微笑むと、まだほとんど足跡のついていない白い雪の上をゆっくりと踏みしめて進み始めた。

雪に覆われて白く変わった聖地の風景は厳かで静かで、視察地から帰ったばかりのオスカーに、穏やかな心を少しずつ取り戻させた。足元の白い輝きを見おろしながら歩を進めるごとに、自分の身体と心が浄化されていくような気がする。

視察地での行いを後悔するほどオスカーは初心ではないし、間違ったことをしたつもりもない。だが、足元を流れた血の色をすぐに忘れられるほど、無感情で冷徹でいられるわけでもない。

踏みしめた白い雪の道が、ふと振り返ると真っ赤に染まっているのではないかと思ったオスカーは、自分のその考えに対して、苦々しげに小さく舌打ちをした。

 

ロザリアは聖殿の回廊を抜けると、白く冷たい結晶がゆっくりと降りてくる空を見上げ、眩しそうにすっと目を細めた。

「――いつまで降らせる気かしら。まさか、本当に雪だるまができるくらい、なんて思ってるんじゃないでしょうね」

別れ際に冗談めかしてそう聞いてみたら、親友でもある少女は深緑色の瞳を大きく見開き、「うん、いっぱい作るつもり。ロザリアも手伝ってね」と、さも当たり前のようにうなずいてみせた。

ロザリアは再び空を見上げ、まったく止む気配をみせない雪をそっと手の平に乗せると、小さくため息をついた。どうやらこの様子だと、我らが女王陛下は本当に、聖地の住人総出で雪だるま大会でも開催するつもりらしい。

ジュリアス辺りは最後まで抵抗するだろうが、結局は愛らしい陛下の『お願い』に屈するのだろうと考えながら、ロザリアは雪に濡れた指先を見ながらくすりと笑った。と、突然ひやりとした感触を後頭部に感じたロザリアはしばらく立ち尽くしていたが、やがて小さく息を漏らすと、整った眉をひそめながらくるりと振り返った。

「雪遊びをしたいのなら、他の方に声をかけたらいかが? いくらでもお相手はいるでしょう?」

そう言って後ろ髪についた細い雪を払いながら怒った様子をみせると、雪の上に片膝をついてしゃがみ、左手で小さな雪の玉を軽く放り投げて遊んでいたオスカーがにこりと微笑んだ。

「なぁ。君は誰かを騙したことがあるか?」

浮かべた笑顔とは裏腹の質問に、ロザリアは怪訝そうに眉をひそめた。するとオスカーは再び笑い、雪玉を右手に握り直した。

「答えるまでもない、って顔をしてるな」

「ええ、聞かれるまでもありませんもの」

答えたロザリアの自信に満ちた顔を見上げたオスカーは、雪玉を高く放り投げると空に視線を向けた。

「俺は、ある――これまでに、何度もだ」

落ちてきた雪玉を受け止めると、それをロザリアの方に向かってふわりと投げた。するとロザリアはするりと身体をひねり、飛んできた雪の塊をかわしつつオスカーを見つめた。

「存じていますわ。貴方なら、人を騙すことなど顔色一つ変えずにできるでしょうね」

ロザリアの言葉にオスカーはかすかに微笑むと、手をゆっくりと地面に伸ばして雪をすくい上げ、両手で丸く固め始めた。

「子供の頃からそうだった。人を騙すことも欺くことも、俺にはちょっとしたゲームみたいなものだったんだ」

「呆れたいたずらっ子ね。いえ、悪党と言ったほうがいいかしら?」

ロザリアが揶揄するように告げると、その反応が楽しくてたまらないという表情を浮かべながら、オスカーは作ったばかりの雪玉を左手で持ち上げた。

「その悪党が、今は宇宙の支柱たる炎の守護聖だ」

高く放り投げられた雪玉を仰ぐように見上げたロザリアは、落ちてくるそれを受け止めようと腕を空へと伸ばした。

「よくぞ更生して出世なさったと、褒めて差し上げましょうか?」

ロザリアがそう答えるのと同時に、オスカーはすっと右手を後ろに回した。

「やってることは、今も昔も変わってないさ」

そうして自分の背後に隠していた3つめに雪玉を手に取ると、空に浮かぶ雪の塊に気を取られているロザリアに向って、素早く放り投げた。

「冷たい!」と叫んで彼女が顔をしかめるのを瞬時に想像し笑んだオスカーだったが、その予想は見事に外れた。

ロザリアは確かに空に浮かんだ雪の塊に気を取られていたふうだったが、オスカーが彼女の顔に向って投げた3つめの雪玉を、ついっと一歩横に足を踏みだしてかわすと、落ちてきた雪玉を両手で受け止めてみせた。そうして、唖然とした表情を浮かべるオスカーの前で得意げな笑みを浮かべた。

「最初にわたくしに雪をぶつけたときから計算していたのでしょう? 2つめで隙を盗むために」

ロザリアはそう言うと、手にしていた雪玉をオスカーに向って軽く投げつけた。

ふわりと投げられたそれは、オスカーの赤い髪にぱしゃんと当たって砕け散り、彼は顔にかかった雪の冷たさに思わず顔をしかめた。そんなオスカーを見おろしながら、ロザリアは楽しそうな笑い声をあげた。

「女王補佐官たるもの、どんな時にも気は抜かないということを覚えておいてくださいな」

かすかに濡れた前髪を掻き上げると、オスカーはすっと目を細めた。そしてにやりと笑みを浮かべると「――では、こういう手はどうだ?」と呟きながら、ロザリアから視線を離さず新たな雪玉を作り始めた。

「ロザリア様、こちらにおいででしたか!!」

かけられた声にロザリアが振り返ると、聖殿付き侍従の制服に身を包んだ遠目にも生真面目そうに見える青年が聖殿の影から姿を現し、彼女が振り返ったのを確認するように、高く手を上げて振ってみせた。

「新年の儀についてご相談したいことがあると、女官長殿が先ほどからお探しです。至急、執務室にお戻りいただけないでしょうか!?」

「わかりました! いま参ります!」

答えるとロザリアはオスカーの方に振り返り、途端につまらなそうな表情を浮かべて雪玉を地面に落とす彼を見つめて小さく笑った。

「もう、行ってもよろしいかしら?」

「嫌だと言っても、聞き入れてはもらえないんだろう?」

ぼそりと呟くオスカーを、ロザリアは微かな笑みを浮かべたまま、無言で見つめ返していた。するとオスカーはしゃがんだままで小さくため息をつき、右手を軽く前に差し出すように振ってみせた。その拗ねた子供のような了承の返事の仕草がどことなく可愛らしくて、ロザリアは笑みを深くしながら「では、ごきげんよう」と呟き、軽く頭を下げた。

そうして顔を上げるとロザリアはきびすを返し、聖殿に向って数歩歩いたところで立ち止まった。

「……オスカー」

ゆっくりと立ち上がりかけていたオスカーは不意に名を呼ばれ、怪訝そうな表情を浮かべて動きを止めた。するとロザリアは彼に背を向けたまま、自分の両手の指を見おろして呟いた。

「貴方が色々なものを背負ってくださっていること――わたくしたちの代わりに、沢山の思いを抱えてくださっていること――感謝しています」

オスカーが黙って彼女の背中を見つめていると、やがて彼女はすっと背筋を伸ばし、くるりと振り返った。そうしてオスカーを見上げると、彼女にしては珍しい、なにか悪戯でも思いついたような笑顔を浮かべた。

「わたくし、こう見えて雪合戦は強いんですのよ。次は貴方を雪まみれにして差し上げますから、覚悟していて下さいね」

オスカーはしばらくロザリアの瞳を見つめていたが、やがてふっと相好を崩すと、優しい笑みを浮かべながら軽くうなずいた。

「では、今度は補佐官殿のお手並み拝見といこうか」

オスカーの言葉にロザリアはくすりと笑うと優雅に拝礼し、ふたたび彼に背を向けて、さくさくと軽やかな音を立てながら雪の上をゆっくりと歩き出した。

 

だんだんと小さくなっていくロザリアの伸びた背中を、オスカーはしばらくの間、黙って見送っていた。やがて彼女の姿が聖殿の影に消えるのを見届けてから、ようやく彼はきびすを返し、いまだ止む気配を見せない雪の舞う天を仰いだ。

――あるいはすべての生命が、彼女によって選ばれ生み出されたのだとしたら。きっと世界はこの雪で覆われた聖地のように、清らかで涼やかであるのだろう。

そう。きっと息をするのも躊躇われるほど、それは美しく厳かで……完璧なる世界だ。

自分が歩んできた足跡を消すほどに降り続く雪の中を、オスカーはゆっくりと歩き続けた。消えてしまった足跡をもう一度、雪の上に刻みながら。

「だが、もしもそんな世界だったら――きっと俺は、存在することすら許されないんだろうな」

呟いて空を見上げたオスカーは、白い雪が舞い散る様に眩しそうに目を細めながら、口元に苦い笑みを浮かべた。

おわり