「いっしょうのおねがいです! もうわがままは言いませんから!」
俺がそう言ってすがりつくと、母上は一瞬困ったような表情を浮かべた。だがすぐに小さく溜息をつくと、後ろで執事に何やら指示をしている父上の様子をちらりと窺ってから、身体を屈めて俺の顔を覗き込んだ。
「――仕方のない子。けれどいいこと? お父上には内緒ですよ?」
「はい!」
嬉しさのあまり元気よく叫ぶと、父上がこちらを振り返った。俺は慌てて口元を押さえ、上目遣いに母上を見上げる。すると母上は、もう一度困ったように微笑んでから、俺の肩にそっと手を添えて父上に声をかけた。
「なんでもありませんわ、あなた。この子が退屈しているようですから、少し外で遊ばせてきますわね」
「ああ、行ってきなさい」
父上は小さく頷くと再び俺達に背を向けて、目の前に居並ぶ部下であり優秀な騎士である偉丈夫達に向かって、何かを指示し始めた。
廊下に出た途端、俺はぎゅうっと自分の口を押さえつけていた手を離して、はぁ?っと大きく息をついた。すると、くすくすと笑う母上の優しい声が頭の上から聞こえてきた。
「そんなにしっかりと押さえつけていたのでは、息が出来なくて死んでしまうでしょうに」
「でも、ちょっとでも手をはなしたら、すっかりちちうえに話してしまいそうでしんぱいだったんです。話さないとおやくそくしたのに」
「まぁ」
母上は小さく声を漏らすと、再び身体を屈めて俺の顔をじっと覗き込んだ。
「――では『一生のお願い』というのも守れますか? もう二度と我が儘は言わないと、母に約束できますか?」
母上の柔らかい笑みの中にも、いつになく真剣な眼差しを感じ取り、俺はしばらく躊躇ったあと、ゆっくりと頷いた。
「――はい。おやくそくします、ははうえ」
「まことですね、オスカー。母との約束、決して忘れてはなりませんよ」
「はい、ぜったいに」
俺がそう答えると、母上はやさしく微笑んでくれた。そしてすっと身体を起こし、俺の方へ手を差し伸べた。
俺は母上の優しい笑みと白くて柔らかな手を見比べ、嬉しくてはしゃぎながら母上の手をぎゅっと握りしめた。
「――それで、オスカー様がどうしても欲しかったものってなんでしたの?」
「笑わないって約束できるか?」
オスカーがにやにやしながら訊ねると、ロザリアは微かに眉をひそめて抗議の表情を浮かべる。
「ここまでお話してくださったのに、ここで終わりでは、なんだか感じが悪いですわ」
「――ケーキさ」
オスカーがさらりと吐き出した単語に、ロザリアはきょとんとした表情を浮かべて絶句した。ややあって、ゆっくりと口を開いた彼女の口調には、いつもの毅然とした響きは微塵もなかった。
「ケーキって……ほ、本当ですか?」
「そんなに驚くことはないだろう。俺だって子供の頃は甘い物が好きだったよ」
手にしたティーカップをテーブルに戻すのも忘れ、呆然としたままのロザリアとは対照的に、いたずらっぽい笑みを浮かべたままオスカーはコーヒーカップに手を伸ばした。
「父上の部下達を屋敷に招いた時の晩餐には、必ず母上がお手ずからデザートをご用意されてな。それを俺はいつも楽しみにしていたものさ」
「その中でも特に、母上のケーキは絶品だったんだ」と呟くと、オスカーはコーヒーを啜る。
「今日も母上はデザートを作って下さる。そう知っていたから、俺は必死で頼んだんだよ。今日のデザートは母上ご自慢のシフォンケーキがいい。そして自分の分には、生クリームを他の人よりもたっぷりと添えて下さいってな」
「でも、お父様に内緒というのはどうしてですの?」
ようやくいつもの表情に戻ったロザリアが、そっとティーカップをソーサーの上に戻しながら小さく首を傾げた。
「父上は甘い物が苦手だったんだ」
当時のことを思い出したのか、オスカーはくすっと小さく笑った。
「けれど部下達に自分の妻の手料理を勧める手前、自分が食べないわけにいかないだろう? だからいつも母上は、父上の分だけを別に作っていたらしい。だが、シフォンケーキとなると――」
「――お一人分だけ、別にお作りするわけにはいきませんわね」
くすくすとロザリアは、鈴を転がすような声を立てて笑った。
「おいおい笑うなよ、お嬢ちゃん。あの時俺は、父上にばれたら『メニューを変えなさい』と言われると思って、それこそ必死で隠そうとしたんだぜ?」
抗議するような言葉とはうらはらに、楽しそうに笑い続けるロザリアを見つめるオスカーの視線はとても優しかった。
扉が閉じられたのを見守り、オスカーはくるりと振り返って執務机に向かって歩き出した。が、途中でふと立ち止まり、テーブルの上に置かれたままのロザリアが使ったティーカップを黙って見下ろした。
やがて軽く息を吐き出すと、苦笑とも自嘲ともいえる笑みを口元に浮かべた。
「――母上。俺はあの少女に出会ってからずっと……とても後悔していますよ」
彼女は女王候補で――自分は守護聖で――
――決して結ばれないと、わかってはいるのだけれど。
「『一生のお願い』を、何故あんなに早く使ってしまったのだろう……とね」