愛しい人

 

「わ……」

「え……?」

早朝の大樹の下、相手の顔を見合わせて絶句する。しばしの沈黙の後、先に口を開いたのは、大きな樹の幹に触れていた彼女の方だった。

「おはよう、ランディ。……朝のお稽古?」

柔らかい朝の日差しに溶けてしまいそうなふわふわの笑顔を向けられ、ランディはほんのりと頬を染めた。が、すぐに表情を引き締めると、手にしていた剣を慌てて胸元に引き寄せて軽く会釈をする。

「お、おはようございます、陛下。ええ、ちょっと剣の稽古をしようと思って……。あの、陛下はどうしてここに?」

「朝のお散歩。ちょっと早く目が覚めちゃったから」

小さく首を傾げて答えると、アンジェリークは改めてランディの方に向き直ってふふっと笑った。

「不思議……聖地の湖じゃないのに」

ランディが不思議そうに首を傾げるのを見て、アンジェリークはもう一度笑った。

「今ね、この樹に触れながらあなたの事考えてたの。そしたら、あなたが向こうから走って来るのが見えて……びっくりしちゃった」

にこにこと笑うアンジェリークの様子にどう反応したらいいのかわからず、ただランディは照れ臭そうに頬を赤らめて頭を掻いた。

実は彼もちょうど「彼女は今ごろどうしているかな? まだ寝てるのかな?」なんて思っていたのだ。示し合わせたわけでもないのに、同じ時間に同じことを考えて、同じ場所に来るなんて……嬉しいけれど、なんだかとても照れ臭い。

しばらく照れていたランディだったが、すぐに真面目な顔をしてアンジェリークを見つめ返した。

「ところで陛下、お付の人はどこに行ったんですか?」

「いないわ。一人で来たんだもの」

「ひとり……で?」

ランディが唖然として呟くと、アンジェリークは悪びれもせずにこくんと頷いた。

「ええ」

途端に、ランディは険しい表情を浮かべてずかずかと歩き出した。そして驚くアンジェリークに近づくと、彼女を見下ろして叫んだ。

「ダメじゃないか! こんなところまで一人で来るなんてっ!」

「え、でも、そんなに遠くないし……」

「遠いとか近いとかの問題じゃないだろうっ!」

言うとランディは、アンジェリークの右手首を掴むと踵を返し、すたすたと歩き出した。

急に引っ張られたアンジェリークは、少しだけよろけながら彼の背中に向って文句を言う。

「もーっ、いきなりなによぉ!」

「帰るんだよ。きっとみんな心配してる。誰にも断らないで出てきたんだろう?」

「うん」

「……まったく」

ランディは小さく溜息をつくと、改めてアンジェリークの手をぎゅっと握りしめた。

「君は女王なんだから、軽はずみに行動しちゃ駄目だ。何かあったらどうするんだよ」

「何もないわよ」

「何かあってからじゃ遅いだろうっ!」

速足で彼の隣に並ぶと、アンジェリークはランディの顔を見上げた。しばらく怖い表情を浮かべたまま歩く彼の横顔を見つめていたが、やがて視線を落としてぽつりと呟いた。

「……ごめんなさい」

するとランディは足を止め、深く息を吐きだした。そして改めてアンジェリークに視線を向けると、ようやく表情を和らげた。

「ごめん、ちょっときつく言い過ぎたよ。でも、これからは本当に気をつけて欲しいんだ。今日は俺が来たからよかったけど、これからは黙って一人で出歩いたりしちゃだめだよ。……いいね?」

「……はい。ごめんなさい」

しゅーんと肩を落とすアンジェリークの様子に、ランディは困ったような表情を浮かべる。

息抜きをしたくなる気持ちは良くわかるから、それを止めるようなことを本当は言いたくない。けれど女王である彼女の立場を考えると、守護聖としては言わなければならない。

やがて彼は軽く息を吐きだすと、俯いたままのアンジェリークの金色の髪に手を伸ばし、驚いて顔を上げる彼女の耳元に顔を寄せて囁いた。

「今度から、息抜きしたくなったら俺に言って。いつでも、どこにだって付き合うからさ」

アンジェリークの頬があっという間に薔薇色に染まる。が、すぐに彼女は幸せそうに笑うとゆっくりと頷いた。

「うん……ありがとう」

アンジェリークに笑顔が戻ったのに安心したランディは、すっと身体を起こした。そして優しい笑顔を浮かべると、改めて彼女に向って右手を差し出した。

「それじゃ帰りましょうか、陛下」

「はい、ランディ様」

手をぎゅっと握り返すアンジェリークの笑顔を見下しながら、ランディは首を傾げる。

「ランディ様って…」

「なんとなく呼びたくなったの。ダメ…ですか?」

上目遣いでそう言われては、ランディが断れるわけがない。彼は仕方ないなぁと小さく呟き軽く頬を掻いた。

「…じゃあ、今だけ。宮殿に帰るまでだからね」

「はい、ランディ様!」

にこおっと嬉しそうに笑うアンジェリークを見つめ、ランディもまた朗らかに笑って彼女の手を握りしめた。

おわり