――パタパタパタ。
最近、毎朝この足音に目を覚まされる。
いや、正確には朝起きて、執務室での二度寝から覚醒するわけだが。
――しっかし。部屋の中まで聞えてくるたぁ、いったいどんだけ元気なのかね。
「おっはようございます、レオナード様っ!」
コンコンっ!と申し訳程度のノックの後、勢いよく扉が開いて、足音に負けないくらい元気な声が部屋中に響く。
「はいはい、おはようさん」
顔をむくりと上げた途端に込み上げる欠伸をかみ殺しながら、レオナードは気だるげに右手を上げて小さく振った。
「あ、今日はちゃんと起きてらしたんですね。よかった」
にっこりと笑ったエンジュは扉を閉めると、警戒心もみせずにすたすたとレオナードの方へ歩き出した。
「おう、俺様やるときゃやるオトコだぜぇ。どうよ、惚れ直しちゃった?」
「そんなことよりレオナード様。わたし、お願いがあって来たんです」
「……お前いま、サラっとかわしただろ?」
むすっとした表情を浮かべる彼をまったく無視したエンジュは、執務机の前で立ち止まると上体を前に出し、頬杖を突いてそっぽを向いているレオナードの横顔をひょいと覗き込んだ。
「あのですね、今度…」
「やだね」
「まだなにも言ってないですっ!」
耳元で大声をあげられたレオナードは眉をひそめ、うっとうしそうに左手を振りながらぼそりと答えた。
「叫ぶなっつうの。なによ、いったい?」
「ちゃんと聞いて下さいよー、もうっ」
エンジュはわずかに頬を膨らましたあと、一転して楽しそうな笑顔を浮かべた。
「あの、今度の日の曜日、ご一緒に海に行きませんか?」
エンジュの言葉に、レオナードの眉間に寄っていたしわがすっと消えた。一瞬の後、エンジェの方に向き直ったレオナードはうんざりしたように目を細めて叫んだ。
「海だぁ!?」
「はい。この時期はいろんな魚がいて、浜辺散歩だけじゃなくて潜るのも楽しいんですって。だからレオナード様、行ってみましょうよ」
「あー却下却下。俺ぁ年寄りなもんで、海なんて健康なガキが行くとこには行けそうにねぇわ」
「えー、そんなぁ!」
途端に眉尻を下げたエンジュは、頬杖をついてそっぽを向くレオナードの目の前に回り込み、両手を握りしめてぶんぶんと振った。
「レオナード様は潜らなくていいですから! 浜辺で昼寝でも散歩でもしててくださればいいですから! だから行きましょうよぅ!」
「バーカ、炎天下で散歩なんぞしたらぶっ倒れるっつうの」
「じゃあ、やっぱり一緒に泳ぎましょうよ」
「よけいゴメンだ、めんどくせぇ」
「レオナード様ぁ!」
「しつこいっつうの。俺様はパスだ、パス!」
取りつくしまもなく顔を背けるレオナードを、しばらく恨めしそうに睨んでいたエンジュは、やがて寂しそうに肩を落とした。
「……夏の海で見る夕日、すごくすごく綺麗なんですって。だから、一緒に見たかったのに…」
「なら、夕方から行けばいいじゃねーの? それならいいぜ、付き合ってもよ」
「それじゃあ意味ないです。朝からずっと、一緒に遊んだりご飯を食べたり…そうやって一日過ごしてから、夕日を見るのがいいんです…」
「……」
「だから……レオナード様とご一緒できたら、きっと、うんと楽しいだろうなって……思った…のに……」
うつむいてぼそぼそと喋るエンジュの頭をちらりと盗み見たレオナードは、やがて眉間にしわを寄せると大きなため息をついた。
「……わーったよ。ったく、しかたねぇなァ」
「えっ!?」
レオナードの言葉に、エンジュは弾かれたように顔を上げた。が、すぐにレオナードの大きな手がその頭に乗せられ、エンジュはくすぐったそうに首をすくめた。
「つまり力説するほど、俺様に水着姿を見せたいワケだろ、エンジュちゃんは? そこまで望まれちゃあ、見てやらないワケにいかねぇしなァ」
「ちっ、違いますっ! もぉ、レオナード様のエッチ!」
頭をくしゃくしゃに撫でられ、頬を赤らめながら抗議したエンジュだったが、ちらりとレオナードを見上げる瞳は、嬉しそうに輝いていた。
「本当に行ってくれるんですか? 冗談とか、言ってみただけとか、そういうのナシですよ?」
「ナニよ、ホントは行きたくねぇの?」
「そ、そうじゃありませんよ! 本当ならすごく嬉しいですっ!」
困った顔をしながらも笑ってレオナードの手を自分の頭から外すと、エンジュはもう一度顔を上げて、にっこりと笑った。
「ありがとうございます、レオナード様!」
「まー、たまにはお姫サマのワガママもきいてやらねぇとな」
渋々という風を装いながらも、興奮気味に頬を染めるエンジュの笑顔を見ては、レオナードも悪い気はしない。
――おーおー、嬉しそうな顔しちゃって。
しかたねぇ。ガラじゃねぇが……まぁ、一日ぐらい頑張ってみるか。健康的な休日……ってヤツを、よ。
「えへへ。それじゃあ、日の曜日10時に、聖殿の前で待ちあわせでいいですか? 私、お弁当持っていきますから、レオナード様は水着だけ持ってきて下さい!」
「……泳がねーぞ、俺は」
「でも、もしかしたら気が変わるかもしれないから、いちおう持ってきて下さいね」
「へーへー」
気のない返事をしながらも内心まんざらでもないレオナードは、照れ隠しなのか自分の頭を掻きながら欠伸を漏らした。
「ンじゃ、俺ぁもう一眠りすっから。来週のために体力温存しとかなきゃならねーのよ」
「レオナード様! 真面目にお仕事しなきゃダメですよ!」
腰に手を当てて頬を膨らませたエンジュだったが、机の上に組んだ脚を乗せ、頭の後ろで腕を組んで椅子の背もたれに寄りかかって寝に入ってしまったレオナードの姿を見つめながら、「仕方ないなぁ、もぉ」と小さくつぶやいて苦笑した。
そしてくるりときびすを返すと、目を細めて微笑みながら歩き出した。
「さーってと、後は最難関のフランシス様だけだわ。一生懸命説得して、みんなで海に行けるよう頑張らなくちゃ!」
嬉々としてエンジュが扉に手をかけた途端、レオナードはぱっちりと目を開け、上半身を乗り出すように身を起こした。
「って、おい、エンジュ!! 他のやつらも行くのかァ!?」
レオナードの叫び声にエンジュは振り返ると、不思議そうな表情を浮かべて首をかしげた。
「はい。ユーイ様と海の話をしてたら盛り上がっちゃって、なら、みんなで行こうってことになったんですけど?」
「んだとぉ!?」
唖然とした表情を浮かべたレオナードだったが、すぐに我に返って「なら、俺ぁ行かねぇぞ!」と叫ぼうとしたが、エンジュはその気配を察したのか、素早く扉を開けて廊下に出ると、もう一度振り返って満面の笑みを浮かべた。
「それじゃあ失礼します。すごくすごく楽しみにしてますから、ぜったい来て下さいね、レオナード様♪」
パタンと閉じた扉を、身を乗り出したまま黙って見つめていたレオナードは、やがてがっくりと肩を落とした。
「ハ……ハメられ、た」